そういう姿がうれしくて、だからつい応援してしまう

臨時休校にともなう緊急居場所支援事業も今日が最終日となりました。

3月3日から始まったこの取り組み

初日は違和感のある場所に不安そうな子どもたちだったけど、
最終日は帰る時間が来なければいいと願う姿がありました。

今日は、小学校6年生と中学校3年生の子どもたちに卒業式も込めて、
メッセージカードと花束を渡しました。

新型コロナウイルスの影響で臨時休校が発表されてもうすぐ1か月
学校があればなにげない毎日だったかもしれないけど、
これはこれで忘れがたい毎日になったのではないでしょうか?

参加していた子どもが言ってくれました

「ここにいる人はもう私にとって家族です」

それを聞いて、物理的居場所だけではなく、精神的な居場所として
役割を果たせたなとうれしく感じました。

もっといろんな人にわたしたちの活動が届けばいいなと思い
はやく新型コロナウイルスが収まればいいなと願い
子どもたちのあたりまえが続けばいいなと思った1か月

新型コロナウイルスの影響はまだまだ続くけれども、
明日から春休みが始まり、始業式の開始の目処もついてきたので、
一旦この居場所事業は今日でおしまいにします。

ただ、これからも子どもたちの多様な機会を確保できるように、
そして、ピンチの時には必ず手を差し伸べることができるように、
わたしたちは継続して、自分たちに今なにができるかを考えていきたいと思います。

ご協力いただきましたみなさまありがとうございました。

特定非営利活動法人ブレーンヒューマニティー
理 事 長 松 本  学

正しい自己有用感

 

自己有用感という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

・誰かの役に立つ
・それによって、自分の居場所だと感じられる

 

そのような感情のことを言います。

他者貢献のような意味も含まれており、他者からの「感謝」がキーワードになるのかもしれません。

 

当然、自分一人では生きられない社会なので、他者に貢献する、役に立てるということはステキなことですし、自信になったり、自分を肯定するのに必要な要素であると思っています。

 

一方で、他者からの「感謝」という点においては、どうしても時間軸が「いま」にフォーカスされがちです。

とはいえ、相手にとっての目先の利益が必ずしも長期的な利益とイコールであるとは言えないわけです。

半年後に成長しているために、いま我慢したり、努力したりすることも必要になるわけです。

 

そう考えると、「いま」相手が喜ぶことを自分のできることで提供することは大切ですが、それ以上に、今は嫌かもしれないけれど、半年後や1年後に「感謝」されることによって感じられるものは、より高次な自己有用感であると言えるんだと思います。

ただ、自分自身の言動の直後には評価してもらえません。
それでも未来を想像して、目の前の人に向き合う中で見えてくる理想を描いて信じ続けられる強さを持つことができれば、その先にいけるのです。

 

自分を取り繕いながら他者とうまく付き合っていくことが大切にされる世の中ですが、目の前の相手や自分自身を信じ続けることで、表面的に取り繕うだけでは得られない関係を築くこともできるはずです。

 

それがよいという価値観やそれを実際にできる人たちを一人でも多く輩出することも、自分の大切な役割なんだろうと思っていますし、後輩に影響を与えたい、誰かの成長に関与したい。という大学生には、そのことを理解した上で、一緒に頑張りたいなと思います。

 

 

(ふくい)

環境は成長の機会

コロナウイルスが経済に与える影響が大きいらしく、2021年度卒や2020年度卒の学生のみならず、入社を間近に控えた2019年度卒の学生にこのタイミングでの内定取消を言い渡す企業もあるようですね。

今後の就活の先行きもなかなか読めない時代に入っていきそうです。

常日頃から、AIにとってかわられないとか、グローバルに活躍できるとか、単純作業ではなく、クリエイティブな発想・アイディアなど、今までと同じことをしていても、ロボットやAIにとって代わられる時代が来るなどという言葉を浴びせられながら育った大学生たちは、なんとなく「成長」したほうがよさそう、しないといけない。みたいな意識があるように見えます。

 

一方で、「成長」しないといけない、したほうがいいとは思っているものの、成長の先に見据える(目標)を持っていないことが多いため、「しんどそう」「大変そう」みたいなことが見えると、心が折れてしまうことも少なくないようです。

 

ただ、「成長」はいつの時代も「自助努力×環境」であると思います。

 

時代が進み、いろんな媒体から情報が手に入りやすくはなっていき、便利にもなり、成長する「環境」は本当に恵まれています。

でも、文字通り「成長」とは掛け算なので、自助努力がなければ一向に成長は得られません。

 

成長は待っていても来ないし、突然誰かがやってきて、成長の魔法をかけてくれるわけではないので、これだけは自分で頑張る他ないのです。

 

その第一歩として、自分はなぜ「成長」をしたいのか、成長の先にはどんな「目的」があるのか。

就活生はもう一歩踏み込んで、

・「なぜその仕事をしたいのか?」という職業観

・「なぜ働くのか?」という労働観

 

みたいなことを考えると、自分はなぜ成長したいのかが見えてきて、

成長に向けた「自助努力」がしやすくなるかもしれませんね。

 

(ふくい)

臨時休校に伴い、ひとり親及び共働き家庭対象のこどもの居場所を設置しました。

新型コロナウイルスの感染拡大防止に伴い、各市町村の小中学校の臨時休校措置の政府発表がありました。
しかし、ひとり親、共働き家庭において十分な子どもたちの見守りをすることができない現状があります。
当法人では、必要な感染防止対策(換気、マスク、アルコール消毒等)を徹底しながら、「子どもの居場所」を設置しています!

 

■緊急措置事業について
〇こども居場所事業~サタプロステーション~

西宮市および近隣市のひとり親、共働き家庭の小中学生を対象に、普段当法人のプログラムでリーダーをしている大学生ボランティアが子どもたちの活動の見守りをおこないます。
見守り内容は、遊びから学習支援まで幅広く実施いたします。

〇こども見守り事業~サタプロシッターズ~

当会レクリエーション事業の過去参加者(小学生)に対して、1家庭あたり当法人のプログラムでリーダーをしている大学生ボランティア2名をご紹介し、ご自宅での学習支援及び見守りを実施いたします。

>>詳細はこちら

観察から見えた大人の「心のリミッター」

 

2020年がはじまりました!

 

今年5月に子どもが生まれたので、家族3人で迎える初めての新年で、年末年始にこれだけ仕事をせずに家族と過ごしたのは初めて(今まで何をやっていたのか)ではないか。という、いつもと違う年の越し方をしました。

 

いつもより長く家にいて、子どもとも過ごす時間がとれたのですが、さすがにまだ一緒に遊んでくれるわけでもなければ、話をしてくれるわけでもないので、特にコミュニケーションが楽しいわけではないです。(笑)

ただ、対象物として観察するにはとても魅力的な存在です!!!

行動のパターンはとてもシンプルで、同じような行動サイクルを繰り返していることがわかったので、ご紹介。

■ふしぎないきもの図鑑

○名前:スイーリ(8か月)

○大きさ:体長は不明、重量は8.6kgほど

○主な食事:粉ミルク、離乳食

○主な行動パターン

・スカウター:
自分の興味に従い、気になるものを見つける。主に移動の前に行われる。

・匍匐前進(ほふくぜんしん):
主に平面での移動手段として使われる。興味・関心の大きさに比例してスピードを変化させる。

・クライミング:
主に上下移動に用いられる。匍匐前進の体制のままで体をのけ反り、対象物に全力で手を伸ばし、両手をかける。その後、腕の力で膝立ちまで持ち込み、直立する。

・つかみとる:
対象物の固さなど、一切の配慮なく思うがままに全力でにぎりつぶす。たまに、変わり果てた対象物に驚いて泣く。(「手加減」の大切さを勉強中。)

・ふにゃふにゃ:
口から湧き出る体液で、すべてのものをウェットにしながら、消化酵素の力でやわらかくしようとする。

・がぶり:
どういう判断基準でなんのフィルターを通しているのかは不明だが、だいたいの対象物を負傷させる。

・受け身をとる(練習中):
ずり這いから直立姿勢にはなれるが、逆はまだできない。そのため、ここで彼自身の身に危機が迫る(ただし、本人はその危機にまだ気がついていない。)。
もう立つのがしんどい(体力の問題)or視線があがったことや物音で新たな対象物が目に入った(いまを超える新しい興味関心の対象物を見つけた)瞬間、我(受け身をとれない自分)を忘れて、新しいものに向かう。そのとき、重力の恐ろしさを目の当たりにする。

下に何かクッション材となるものがある場合は衝撃吸収の役割をしてくれるが、多くの場合は大人の思うとおりに体重移動されることはない。
結果、ポケモンと比べるとかなりの高確率で、「一撃必殺」をもろに食らい、ひんし状態になる。

※ひんし状態になったときは、顔のパーツがすべて線と化し、手元の時計でおよそ4秒間、時が止まった(呼吸は止まっている)かのように、声を出すのを忘れるのが特徴である。

・あまえる:
おれはみじめだ、助けてくれんとばかりに声をあげる。地上約1.5mの上空で捕獲されると、瞬時に泣き止む。信じられない回復力である。何もなかったかのように、次なる興味・関心に目を向け、何かを訴え始める。

(ここまで)

日々、一日の中でこのサイクルを繰り返しまくっている。

 

「子どもの成長は、はやい」という言葉をよく耳にするし、見ていて本当にそうだと思っていたけど、
こうやって書いてみるとその理由も納得する。

 

常に周囲に注意を向け(注意意識)、興味・関心を見つけ(動機付け)、アクションを起こす(自己決定)。※ここまででおよそ5秒。

うまくいくかどうかはわからないけど、成功すれば自信を身につけ(自己効力感)、失敗すれば大人を頼る(自己受容)。

そのサイクルを一日に何度も繰り返しながら、行動による結果から「自己理解」を深め、難問にもチャンレジして「試行錯誤」もしている。

 

こんな小さな生き物が、一人前と言われる大人なんかよりも着実に行動を起こし、脳内のシナプスをえげつないスピードでつないでいってる。

 

大人になるとできることは増える。同時に、「できないかもしれない」と思うことも増える。

生まれたばかりの子どもは、できないことが少ない代わりに、「できないかもしれない」と思っていることもほとんどない。

経験や思い込みに基づくさまざまな情報が、自分自身に「心のリミッター」をかけている。

「大人になる。」とは、どういうことなのか、改めて考えさせられる。

 

2020年。いまもこれからも、自分は自分にとって、最大の味方であり、敵でもある。

自分自身に勝てる1年にしていきたいと思う、年末年始の一部始終でした。

 

(ふくい)

 

1年の目標を決めてみようと思いました

みなさま新年あけましておめでとうございます。

ついに2020年がやってきました。
松本です。

さて、一年の計は元旦にありとよくいいますけれども、
早いものですでに年が明けて1週間が経過しました。

みなさんはジャネーの法則をご存知でしょうか?

この法則は「年をとるほど時間が経つのが早く感じられる」
という現象を数式化したものらしいです。。

ジャネーの法則によると、時間の過ぎる速さは、年齢に比例して加速します。

1歳のときの1年間を基準とすると、
2歳のときの1年間、2倍早く感じ、
5歳になると5倍早く感じ、
10歳になると10倍です。

私はいま32歳なので1歳の時より32倍の速さを感じていることになります。
切ないですね。

そんな32倍速のスピードならば1年の目標くらいそろそろ設定しようと思いここに宣言をします。

◆目標その1 『1週間に1冊本を読む』
ありきたりな目標ですがインプットが最近必要だなと深く感じているので、
とりあえずは本から吸収します。
ただ、小説も好きなので新書ではなく、本という設定にしました。
ブクログというアプリも入れたのでもう完璧です。

◆目標その2 『月に1回登山をする』
なにかを忘れる瞬間はとても大切だと思っています。
いいアイディアはトイレかお風呂か移動中といいますし、
頭を切り替える意味でも今年も登山に勤しもうと思います。
1月はそんなに時間もないのでまずは金剛山くらいで手を打とうかな

◆目標その3 『自立する』
具体的でもなんでもないひどい目標ですね。

自分で生きるということはなんだろうかと時より思うことがあります。

そしてその時、就職が決まった時の父の言葉が脳裏をよぎる瞬間があります。

『お前はサラリーマンか。オレは手に職があるから自由気ままに仕事できるねん。』

父は自動車の整備士で、僕が大学生のころ、勤めていた町工場が倒産し、大手企業の自動車整備会社に転職したけど、合わなくて、自分1人で自営業を始めたころでした。
父親の仕事観を聞いたのはそれが最初で最後だったような気がします。
ただ、その言葉がずっと記憶に残っていて、自分も大きなものに頼らず生きていけるようにならないとと考えてしまう今日この頃です。

なので今年はどうやったら自立できるかということと向き合う1年にしたいと思ったりしています。

もちろんBHの仕事も今年も自分のペースで頑張っていきたいと思います!
なによりも平和な1年でありますように

松本

少年とぼくとExcelのお話し

今日は当法人が運営している居場所で子どもたちと遊んでいた。
すると1人の少年がパソコンに興味があるらしく、

「Excelは好き?」と聞くとその子は「Excel好きです」と答えた。

Excel好きに悪い人はいないと思い、Excelを開いて触っていいよと投げかけた。

するとその子は、カレンダーを作ったことがあるといい、weekend関数を打ち始めた。

小学2年生にして、そんな関数を知ってるなんて、素敵な教育を受けているのだろうとすごくあたたかい目で見守っていた。

話が広がり、関数で曜日の出し方を知っているかとたずねたら、知らなかったようで、=text(A1,”aaa”)で曜日が出るよと教えてみた。

するとその子は、すぐにマスターし、こんなことを聞いてきた。
「”aaa”の中身を”ddd”にするとどうなるの?と聞かれた。」

そんなことは考えたこともなかったので、一緒に中身を”ddd”にしてみた。
すると表記が英語の曜日となった。
そのあと、一通り、”aaa”から”fff”くらいまで試してみた。

そのあと、SUM関数の話になり、数値を合計していた。
すると少年が「令和」「令和」「令和」と続いたセルをSUMするとどうなるのかを試していた。

そんなのは、エラーが返ってくると内心思いながら、見ていて、やはりエラーで返ってきた。
ふと思った。
私にとってはその経験は過去の失敗から学んだことであり、少年にとっては、その失敗がはじめての失敗でそこから学ぶことも多いだろうと

学んだことをただ、実行するだけではなく、そこから派生したことにトライし、失敗する。

そして、その失敗から新たなことを学ぶ

そんな当たり前のこと、経験やら本を読んだやらで知った気になって、トライしようとしない自分がいることが少し恥ずかしくなった今日であった。

ちなみにこの少年はCtrl+1で書式設定を開くという僕が25歳くらいで手に入れたスキルすら持っていた。
天才とはこういう少年のことを言うのかもしれない。

いつかこの少年が偉大な賞を取った時に、あいつにSUM関数を教えたのはオレだと言える日が来ることを祈りながら

松本

優越感の自覚

 

みなさんはどんなときに「優越感」を感じるでしょうか。

調べてみると、以下のような意味が出てきました。

「自分が他者より優れているとの認識、およびここから生じる自己肯定の感情である。」

「他者との比較であってはならない」というツッコミはさておき、生きていく上では一定必要なことだろうと思っています。

 

・「自分を認めてほしい」

・「すごい人だと思われたい」

 

そんな感情は誰にでもあると思います。

ただ、自分が何かをするときの最上位の理由が「優越感」になってしまうと、いろんな判断を間違えてしまう気がします。

私は仕事柄、説明したり、質問をしたりしながら気付きを促すことが求められます。

説明したり、教えたりする中で、同意してもらえたり、わかってもらえたりするとうれしい反面、そんな自分を別の自分が俯瞰的に見るようにすることを意識しています。

 

 

それは、自分が仕事をする真の目的が自分が優越感に浸ることではないからです。

また、それを目標にしてしまうと、自分自身の成長がとまってしまう気がするから。というのもあります。

 

とはいえ、感情として湧き上がること自体を全否定したり、感じたりすることはどうしようもない。

 

だからこそ、自分が優越感を感じていることに自覚的でありたいと常々思っています。

 

皆さんは、いま目の前にしていることの先に何を求めていますか。

 

(ふくい)

「何をやるか」ではなく、「どのようにやるか」

 

BHで長らく続いている小学生対象の日帰りイベント「SATAPRO」。

5月からスタートしたイベントが10月をもって終了し、11月からは後輩たちがバトンを受け取っています。

その回ごとにテーマを決めて、テーマに沿って企画(どんなゲームをするか、何を作るか)を考えていきます。

 

もちろん、「どんなゲームをしたら楽しいか」を考えることは楽しいです。

既存のゲームにルールを加えたり、異なるゲームを合体させたりなど、子どもたちが楽しんでいる様子を想像しながら物事を考えることはとても楽しいんだと思います。

 

個人的な意見としては、基本は安全で子どもたちが楽しめるような内容であれば、どんなゲームでもいいと思っています。

というか、そもそも「絶対的に」楽しいゲームなんていうのは存在していないと思っています。

 

幼稚園児でもわかる単純な遊びであっても、工夫次第では小学生はもちろん、中高生・大学生がやってもいくらでも楽しいものにできます。

「逃走中!」だって言ってしまえばもとは鬼ごっこです。

鬼が仮装をして、なぞ解き要素を加えて、モノやカネで釣ったに過ぎないですから。

 

 

「どんなゲームでもいい」という話はさておき、SATAPROにおいて、何かおもしろいゲームを思いついて、

どんなゲームを、どんなルールでやるか、ということが決まっただけでは実は不十分だと考えています。

 

それは、「何をやるか」が決まっただけであって、「どのようにやるか」が決まっていないからです。

 

具体例で言うと、
・ゲームの始め方(つかみ・動機付け)
・ゲームの説明を工夫する
・ゲーム中のリーダーの関わりは?スタッフは何をする?
・そもそもスタッフ・リーダーをする大学生側に、限られた時間で何を・どの程度まで深く理解してもらう?
・そのためにどんな説明をする?
・ボランティア一人ひとりが当事者意識を持ってもらうためには?
・そのために自分たちはどう働きかける?どんな言動を心がける必要がある? などなど

考え始めるとキリがありません。

 

いろんな情報が溢れるこの世界。全く新しい「何か」を見つけることは難しい時代になってきました。

BHにおいても、25年という歴史の中で、先輩たちがたくさんのアイディアにチャレンジを繰り返してきたため、

当初より、全く新しい「何か」を見つけることが難しくなってきました。

 

だからこそ、大切なのは「新しい何か」ではなく、目の前の既に知っている・存在している何かを「どのようにやるか」ということなのだと思います。

 

「What」よりも「How」が問われる今だからこそ、

手法や手段の独自性、工夫することへのこだわりを持って、

目の前のことに向き合っていきたいと思います。

 

みなさんは、日常化・常態化しつつある目の前のことに「どのように」向き合っていますか?

 

(ふくい)

「やりたいこと」とはなにか

 

「やりたいことができた」
「やりたいことがわからなくなった」
「やりたいことが見つからない」

学生たちと話をしていると、よく出てくるワードです。

みんな同じように「やりたいこと」について話すけれど、本当に思っているのかな?と思うことがよくあります。

自分がそんな風に思うときは、大きく2つあるような気がしました。

 

やりたいこと①「憧れの目標」

簡単にいうと、「楽して手に入ればいいな」というパターン。
「できたらいいな」「やってみたいな」
でも、そんなに頑張ってまで手に入れたいと思っているわけではない。

生きる上では、「できたほうがいいこと」「経験したほうがいいこと」というのはたくさんあると思う。

でも、もう少し正確に言うと、
「できないよりは、できたほうがいいこと」
「経験しないよりは、経験できたほうがいいこと」

というだけな気がする。

特徴としては、
・熱しやすく冷めやすい人が多い印象で、
・自分を周りとの比較によって評価する人に多い気がする

 

やりたいこと②「やらなければならない目標」

個人的な印象としては、将来の夢や職業が決まっているような学部に進んでいるような子に多い気がします。
学校の先生など、教育や福祉等の分野の子が当てはまるのかな。

自分も小学校教員志望だったため、同じ状況でした。
実習などを通して、数年先の姿をある意味表面的に見せられるとともに、自信の経験に基づく理想像をすでに持っている場合も多いです。

数年後にやることが明確で、そこに理想像や「これからの教員はこうあるべき」とかって話を大学で聞いてしまうと、
「そういう先生にならなくては…!」と思うようになり、
やがてはいつの間にか、「理想の教員はこうあるべき!」という感じですり替わってしまうのだと思う。

この種の目標は、「達成しなければ発生するであろうマイナスの出来事を回避するため」に設定されていると言える。

上記は少し極端ですが、
・できることならやりたくない、
・でも行動を起こさなければ自分にとってマイナスの出来事が発生する、
・だから仕方なくやる

そういう目標のこと。

母親に怒られていやいや宿題をやる小学生(怒られるのが嫌だから、怒られる前に宿題をやってきたとも言えるのかも?)や
衣食住を失わないために、毎朝、嫌々会社に出かけてしょうがなく仕事をする、というのはこれにあたるのだと思います。

では、上の二つには当てはまらない、「真に達成したい目標」とは何なのか。

簡単にいうと、「達成することで手に入るプラスの出来事を追及するために設定された目標」のことです。

「やらなければならない目標」であれば、プラスを求めて次から次へと行動するということはほとんどなく、
マイナスを回避するための最低限の行動しかしないため、高い成果は得られない可能性が高いと言われています。

そう考えると、「すること(行動の中身)」が重要なのではなく、「取り組むスタンスや姿勢」が
マイナスではなくプラスにはたらくようなものを選んでチャレンジするといいんですね。

みなさんがいま、「やっていること」や「やろうとしていること」はどれに当てはまりますか?

 

ふくい