発想が逆だと思う話

大阪市で全国学力テストの結果が政令指定都市で二年連続で最下位となったことを受けて、「学力テストに具体的な数値目標を設定、達成状況に応じて校長、教員のボーナス(勤勉手当)や学校に配分する予算額に反映させる制度の導入」を検討していることを皆さんはご存知だろうか。

 

この制度事態は個人的には反対だと思っているし(実際教育現場からも反対を受けている)、

おそらくうまくいかないだろうと思っている。

 

ただ、教員間で刺激が必要だという点のみに限ってはかなり賛成している。

知り合いの方が今回署名で反対運動をしていたが、こういう要素だけは消えてほしくないなと思い、

あえて署名はしなかった。

 

自分も教員志望者なので、教育実習や仕事でも学校の先生と話をすることはとても多かった。

そんな中で大半の先生はかなりの仕事量をこなしているし、現場ですさまじい日々を過ごしている。

なので、単純に学力だけでボーナスなどを反映させるのは少しかわいそうだなと思ってしまう。

 

ただ、そういう先生だけではないということも事実であり、教員が早期で辞めてしまったり、不足してしまったりしている事実もあると思う。教員を一つの職業としてみた際にどれだけ魅力があるのか。

「やりがい」はとてもあるだろうけど、犠牲にしないといけない部分も多い。給与だっていいわけではない。

そうなると本人の向き不向きや能力に関係なく、今の教育委員会が欲しいと言っている「熱意がある人」のみが現場に集中していることになる。

 

子どもたちが多様になってきているのに、そこにかかわる大人側がもっともっと多様にならないといけないと感じている。熱意が必要ないというわけではないが、熱意だけで仕事をすることは非常に不安定だし、何かあった際には耐えきれず、やめるという結末になるのだろうと思う。

 

よく学習支援のボランティアでも「無償のほうが長続きする」という話を聞くが、そうではないと思っている。

やめるかやめないかは本人次第だし、頑張っている人が不幸になるのはおかしいと思う。

 

学校の先生でももっともっと給与を上げてもいいと思う人は多い。

経験や成長というお金でない部分の魅力も当然あるが、お金の部分でも魅力的な職業であれば、きっと優秀な人材はそこに殺到することになると思う。

 

大企業が大企業であり続けるゆえんはそういう人材面が大きいと感じている。

熱意は当然必要であるが、もっと多様な人材が教員になる社会ができれば、

日本の教育も大幅に変わるかもしれないと日々個人的に思っている。

 

(片岡)