卒業生の声
2008年度卒業生文集

過去のOB・OGのメッセージはこちらです。



時限爆弾

能島 裕介(理事長)


 昔、中学の時の地理の先生が卒業文集にこんな言葉を書いていた。
「教育というのは、いつ爆発するのかわからない時限爆弾を仕掛け続けるようなものだ。」
 その文集を読んだのはもう20年ほど前のことだが、いまでもこの言葉は脳裏に焼き付いている。当時はその意味もぼんやりとしか理解できなかったが、教育という仕事の端っこをかじっている今、この言葉を時折思い出しながら、その意味をかみしめている。

 今年もまたこの組織のなかで人生の一時期を過ごした仲間達が旅立とうとしている。彼ら、彼女らのこれまでの歩みは過酷で、苦しいものだったかも知れない。楽しいことよりは辛いことの方が多く、光が当たることよりは影で働くことの方が多かったかも知れない。でも、そんな一人一人はその労苦に比例するだけの経験を得ているのだろうと確信している。そして、その経験は学びとなり、やがてその価値が発揮される日が訪れると信じている。もちろんそれがいつなのかは誰も知らない。それはまさしく「いつ爆発するかわからない時限爆弾」なのだ。

 しかもその爆弾の威力も爆発するまでは明らかではない。とんでもなく大きな威力を発揮するかも知れないし、いつ爆発したのかもわからないような小さなものかも知れない。高度に複雑化し、時間の流れが加速されている現代社会のなかで、こんなに不確かで、すぐに結果の出ない行為は無意味に感じられることすらある。でも、僕らはそんな無為に思える営みを大切にしながら15年にわたり活動を続けてきた。

 1994年、関西学院大学のB号館の大きな教室の後ろの方。そこで交わされた雑談から今年で15年を迎える。今日、BrainHumanityを旅立っていく仲間達もその頃はまだ小学生だったのだろう。その中には、小学生のころに我々のキャンプに参加していたメンバーもいる。少しずつではあるが、着実に参加者とボランティアの連鎖は起こり始めている。いま私たちが関わっている子ども達は15年後、どうなっているのだろう。そしてここを旅立っていく仲間達は15年後、何をしているのだろう。そんなことを夢想しながら、ひたすらに僕らは時限爆弾を仕掛け続けている。

 最後にこれだけは言っておきたい。みんながどんな状況であろうと、一人一人のことを想い、
祈っている人がいるということを覚えておいてほしい。1995年、あの震災のまっただ中で、鹿児島からやってきた救急車を見て、涙をこらえきれず、立ちつくしたことがある。誰からも自分が忘れ去られているという感覚は、絶望をもたらす。しかし、どんな時でも、どんな状況であっても、誰かが自分のことを覚えていると感じることができれば、そこに希望はある。少なくとも、みんなの親や兄弟、恋人、そして同じ労苦をともにした仲間たちはみんなのことを覚えて、密やかに祈っている。あまりに密やかでみんなの耳には届かないかも知れないが、本当に祈っている。

 だから、臆せずに行け。試合の舞台は、もう目の前まで来ている。



北村 頼生(事務局長)


多感なこの時期、皆さんは何を感じてこられたでしょう?
おそらく壇上に立っている皆さんは、BHやその他の大学生活で個々多くを経験し、
多くを感じ、今、晴れ晴れした顔を後輩に見せていることと思います。
ぜひ今のその表情を忘れないで下さい。
ぜひその純粋な思いや感性を大切にし、感じたその一つ一つを糧とし個々の道を歩んで下さい。
思いや感性は、進む毎に大きくなりますが、
止まると小さくなり、いつの間にかなくなってしまいます。
要は、今ある思いを行動に移すか否かが肝心です。
新生活が始まる4月からと言わず、そう、この後酔いつぶれて事務所で目覚めた明朝から
今ある思いをさっそく膨らませ始めて下さい。

思い起こせば5年前に私は企業を退職し、4年前にこのブレーンヒューマニティーの正職員となりました。
言わばBH歴4年の皆さんの同期です。
BHはもちろんのこと、キャンプやイベントも、企画書も初めての体験だった当時の皆さんの姿を振り替えると、
この4年の大きさを切に感じます。
ぜひブレーンヒューマニティーの名の由来の如く、「理想」と「力」を持ち、社会という今までにない荒波に
挑んで下さい。BHという中波に挑み続けてきた皆さんには、もうその準備はできてあるはずです。

・・・とここまでは毎年のように同じ文章を書いています。得意のCAPで。
もちろん違う顔を浮かべながらですが、伝えたい気持ちはさほど変わりませんので。
卒パまであと16時間。卒業生の文集に目を通しながら、今続きを書いています。
さて今年、私が学生時代に参加者として来ていた少子が、4年間のBH生活を終え
卒業しようとしています。彼女にとって楽しく充実した時間が過ごせたようです。
それに対し何とも言えない喜びと、時が経つ速さを強く感じています。
同様に他のどのメンバーの言葉からも、いかに充実した時間が送れたことが伺えます。
ぜひこれからの仕事や生活の中で、こうした心地よい気持ちを味わえる「何か」
にまた皆さんが出会えることを祈っています。

末筆ながらご卒業おめでとうございます。




今こそ。

阪上 荘平(事務次長)


 卒業、おめでとう。
 とりあえず、一番かけたい言葉はこの一言です。
 僕が職員となって一年目、みなさんは既に4回生になっていました。みんな一線から少し離れていたし、僕の担当業務分野もあって、あまり接点がないままみなさんは卒業です。ということで、以下は職員としてというよりも、OBとしての言葉になります。
 いつか終わるだろう。その程度に捉えていたかもしれない大学生活の終わりはいよいよ間近ですが、この団体で、特に濃く関わってきた学生は、卒業を機に大概こう考えます。

「息つく間もなく活動してきたけど、振り返ってみると自分にとってBHって何だったのかしら?」
「涙と汗にまみれはいたけど、それに見合うほど自分は成長していないんでは?」

就活をする中で、とりあえず「自己分析」とやらをしないといけなくて、追われるように既に考えた人もいるでしょうし、未だ不明確な人もいるでしょう。
BHには400人ボランティアがいるから、関わった事業は、かなりバラバラです。その体験を通じて感じたことになるともっとバラバラ。
なので、僕は自分のことしか言いません。
僕は、卒業から2、3年経ったある日、なぜかふと、上の問いが頭をよぎったことがあります。確かに、BHのおかげでパソコンの操作、文書の作成、最低限のビジネスマナーなんかで困ったことは全くなかったけど、それは本質的なもんじゃないね、と。じゃあ自分にとってBHって何だったのか、と。
その時の僕の答えは、BHでの一番大きな学びって、パワポが使えるようになったとか子どもの前でしゃべれるようになったとかそういうことじゃなくて、BHが常に持っている「妥協しない姿勢」「目的に向かって邁進する姿勢」の重要性が染みついたことなんじゃないかというものです。
それは、根源的な思考パターンなので、どんな時でも役に立ちます。仕事をしていても、大切な誰かと共に生きていく上でも。
…とまぁ僕のことを話すとこんな感じです。みなさんはどうでしょうか。もしかしたら、ふりかえってみて、失敗したことを思い出して嫌な気分になったかもしれません。でも、その失敗からの学びを自分の中に落とし込まないと、その失敗はただの「無駄」になってしまいます。
逆に、卒業に浮かれて、終わりよければ全てよし、という気分になっちゃっているかもしれません。それだと失敗が泣いていることでしょう。
どうか、みなさんが卒業を機に体験を振り返り、これからのみなさんを支える学びへとつながりますように。そう祈念しています。




卒業生の皆さんへ

田中 章雅(事務局職員)

「ありがとう。みんなのおかげで勝つことができたよ。これからも助けが必要なときは呼んでくれ。」正義のヒーローであるコダーンは敵を倒した後、必ずそう言うのを覚えていますか?


サンタクロースを信じ、カメハメ波のマネをし、セーラームーンに憧れたみんなももう卒業。さすがにもう正義のヒーローを信じている人はいないだろう。
正義が勝つなんて古い。正義なんて世界にはない。そんなことを言う人も珍しくないのかもしれない。


場合によっては、それも正しいだろう。否定するつもりはない。しかし、コダーンを応援する子どもたちのあの真剣な瞳を知っているみんなだから、それでも正義を信じて欲しい。愚直なほど真っ直ぐに信念を持って進んでいってほしい。そんなことを思います。


それでも本当に困ったときは左手を、高く挙げるのではなくそっと胸に置いてみて欲しい。これまでのBHでの活動を思い出してみてほしい。きっと助けてくれるはずだ。


さらに助けが欲しいときには、コダーンではなく、BHで出会った仲間たちを呼んでみてはどうだろう。きっと敵を倒してくれるに違いない。


そして、どうしても迷ってしまうときには、子どもたちのあの真剣な眼差しを思い出して欲しい。正義は決して負けない。そう信じている限り、絶対に負けることはない。


卒業生全員のこれまでの活動に敬意を表し、これからの活躍に期待しています。



☆たくさんの宝物☆

朝山 優輝(あさば)


高2の冬、あすこからの「キャンプ行かへん?」っていう一言でなにも考えず来たところがブレヒューでした。
それがうちとここ(BH)との出会い。

それから今まで、いっぱいイベント行きまくった。
イベント行く為に何度も学校を休み、キャンプ行くために試験の日も先生に頼み込んで個別に変えてもらったりもした。 うちの大学生活はぶれひゅーが大半を占めていた。
いろんなものを犠牲にしたかもしれない。
けど、そうまでしてなぜここ(BH)に居続けたのだろうか。

いろんなイベント行って、やりたいことやって、自分にはできないと思ってた総責や代表、派遣までやらせてもらった。たくさん迷惑かけて辛くて逃げてしまいたくなったりもしたけど、そうしなかったのはやっぱりうちにとってはあの可愛いこどもたちの存在がでかかったから。一緒に創りあげていく大切な仲間がいたから。

リーダーの仕方、こども同士の関係に悩みキャンプ中こどもが寝静まってから先輩と語り合って号泣したこともあった。こども一人一人みんな違って、難しいこともあるけどリーダーする度に毎回いろんなことに気付き、感じ、学び得ることがたくさんあった。
こどもたちのキラキラした笑顔に励まされ、元気をもらった。愛する子がたくさんできた。

同じ目標に向かって真剣に突き進むことのできる仲間がいた。
辛い時に親身になって支えてくれる仲間がいた。
笑ったり、泣いたり、悩んだり…いろんな想いを分かち合い、語り合い、たくさんの刺激をもらった。大切な仲間がたくさんできた。

そんな想いや思い出なんて、まだまだ書ききれないほどたくさんあり過ぎて、言葉にできないほどたくさん1つ1つに詰まってる。たくさんの人に出会えていろんな価値観に触れ合えて、ここで活動してなかったら得ることのできなかった大切なものたくさん手に入れた。そして、自分自身と向き合い成長することができた。
たくさんの機会を与えてくださって、本当に感謝しています。


みなさんは大学生活をどう過ごしていますか?
この限られた1番自由な時間をどう使うかはほんまに自分次第やと思います。

やりたいことして、充実した道を歩んでください。

自分がすると決めたことがあるなら、どんなことがあっても簡単には諦めずに挑戦し続けてください。

自分の道を、可能性を切り開き突き進んでいってください。

辛くなったときにはあなたの周りを見渡してみてください。たくさんの素敵な仲間がいるはずです。本気でぶつかり合い、語り合ってみてください。

たくさんの出会い、経験を大切に、なにをするにしてもしっかりと想いをもって、いろんな素敵なもん築き上げていってください。

けどやるからには妥協はしないで。自己満足で終わらせないで。
これからもこどもたちや参加してくれる方みんなに、想いの詰まった素敵なものを届けていってください。

うちの初キャンプで参加者やった子が今大学生になってスタッフしてる。
参加者やった子がイベント本部とかしてる。そんな繋がりってめっちゃ素敵やなって思います。ここで活動してるからこそできた繋がり。1つ1つの繋がりを大切に。

こどもたちとの関わり
たくさんの人との出会い
ここで過ごした全てが大切な宝物になりました。

ここで得たたくさんの宝物を胸に、これからも突き進んでいこうと思います。
みなさんと出会えて幸せです。
本当にありがとうございました。





「必要とすること、されること」

今井 悠介


「誰かに必要とされること」

これは四年間の自分を語る上で重要なキーワードとなる。

フレキャンに参加したときも、

大規模キャンプに参加したときも、

不登校の子どものイベントの本部に初挑戦したときも、

ワークキャンプのスタッフを決めたときも、

不登校関連事業部の代表をやると決心したときも、

そこには必ず自分を必要としてくれる人がいた。


一番思い出に残るのは3回生の春に自分が担当したHEP10期生養成研修。

「このイベントがつぶれたらHEPが崩壊する。」

プレッシャーに押しつぶされそうだった。

なんで自分がやらなきゃいけないのか、

なんで自分がこんなに大きな責任を負わなければならないのかがわからなかった。

辞めたいと思った。

でも、自分を必要としてくれている人のことを考えると

辞めたくても、辞めることができなかった。

4年間で、自分のやっていることが自分のやりたいことなのかどうかがわからなくなることがたくさんあった。

正直、今でも自分のしたかったこと、したいことが何かはわからない。
でも今になっていえることは、

誰かに必要とされることはすごく幸せだと言うこと。

そして、自分は4年間とても幸せだったと言うこと。

BHには本当に色んな立場の人がいて、

それぞれが色んな活動をしている。

直に子どもの成長に関わる人。

裏で現場を支えている人。

イベントを見守る人。

イベントの立案をする人。

BHの意志決定をする人。

学生を支える人。

どの役割が重要とかはない。

気付かないけど、それぞれが必要な存在だと思う。

「自分は必要な存在。みんなも必要な存在。」

後輩の皆さんにはそんなことを感じながら、また伝え合いながら、

これからも活動を頑張ってほしいと強く思います。

4年間、本当にありがとうございました。



「『明日の僕が楽しみや』といえる人になろうや」

おかもと たくや


 「明日」って今はまだ何が起こるかなんてわからない

それは人によっては不安なことなのかもしれない

それは人によっては楽しみでしょうがないことかもしれない


それは人それぞれでしょう


けど、「明日」は必ずくる


ときに迷い、不安でうつむきたくて
逃げ出したくて仕方ないこともあるかもしれないけれど

「明日」はまだきていないのだから、
「明日の自分が楽しみや」って前向きに考えられる人になろう♪

また「明日」そんな前向きなBHのみんなに会えるのを楽しみにしてます♪
おかもと たくや・おかもっちゃん・ペルー



区切り 〜レクと僕〜

安武 翔


夏に想うこと 2007/08/29 20:06 GREEにて
今年の夏も終わった。
レクリエーション事業部代表になって二度目の夏。

正直、去年よりも格段にしんどかった。
本気で逃げてやろうと何度も考えた。
逃げるための伏線も残した。

某理事長に
「昨日、本気で逃亡しようとしました。」とだけ言って逃げ帰った日もあった。

乗り切った。
終わった。

参加してくれたたくさんの子ども達がいて、
キャンプを作った多くのスタッフ・リーダーがいた。

今、みんなに俺が言いたいこと。
「ありがとう」
その言葉だけがずっとずっと言いたかった。

キャンプを楽しんだ学生がいた。
キャンプで泣いた学生がいた。
キャンプを愛した学生がいた。

キャンプを楽しんだ子どもがいた。
キャンプで泣いた子どもがいた。
キャンプを愛した子どもがいた。

俺はレクリエーション事業部代表として
このような場が
子どもの成長とともに
学生の成長とともに
ずっとずっとあり続けることが本当に大切なことだと思っている。
子どもにとっても
学生にとっても。

代表として
そのような場に対し
俺自身が何かアクションをかけることが出来たかは微妙。

だけど、
みんながいてくれて
今年の夏も楽しんでくれて
「また来たい」と子どもに言ってもらえ
馬鹿みたいに何個もキャンプ行く学生もいて
そしてどのキャンプも無事に帰ってくることが出来て本当に良かった。

キャンプは楽しいもんなんだ。
子ども達にとっても
学生にとっても。
それが作り上げることが出来て本当に良かった。

逃げたくなることもあった。
でも出来なかった。
俺はやっぱり
キャンプが好きなんやと思う。

キャンプという体験によって
子どもも学生も成長していく。
そんな場が好きなんやろうなと思う。
だから代表をやってたんかな。

みんなのおかげで今年の夏も無事に終えることが出来た。
みんな、本当にありがとう。

参加してくれた子ども達、学生達。
キャンプに参加してくれて、楽しんでくれて、本当に本当にありがとう。

この夏のキャンプの後の、タバコの味とビールの味は絶対一生忘れない。



鎌内 清加


世の中たくさんの偶然が重なり合ってできているんだと思う。

よく「なんでBHに関わるようになったの?」ときかれる。
かっこよく「子どもと関われるボランティアに興味があって参加した」って答えたい。
…けど実際は、ただ友達に誘われて行ったバドミントンの体験入部で新歓に行く事になり、
バドミントンの新歓だと思い込んで行ったBHの新歓がはじまりだ。
新歓に行ったのはいいけれど、キャンプやサタプロの説明が始まり、
今自分に起こっていることがよくわからないまま、事務所に向かいキャンプに誘われた。
子どもが好きだし、キャンプも嫌いではない…
そうなると、断る理由がなくキャンプに行くことにした。
こんな風にかなり流れに身を任せた感じで私のBH生活は始まっていった。

続けていくうちに、
「なんで、かまはBHにいるの?」ときかれることもよくある。
改めて考えてみる。
電車賃往復1500円。
移動時間往復1時間半。
毎日のように事務所に行っていたあの頃。
大勢の前で演技をしたあのイベント。
子どもに「嫌い」「気持ち悪い」と言われていた日々。
悔し涙を必死でこらえたあの時。
やっていてイヤになることもあるし、お金に苦労することもある。
実家に帰っておいしい手料理を食べたいと思うときもあるし、
友達と色々なところに遊びに行きたいと思うときもある。
『あれ??なんでBHにいるんだろう???』

そう思いながらも、なぜか足が向かっている。
それは、マイナスの思考をプラスに変えてくれるものがあったからだ。
そのなにかは、子どもの笑顔だったり、仲間の笑顔だったり、
笑い合える時間だったり、一生懸命な時間だったり、たくさんのプラスがあった。
私はBHに出会わなかったら、後悔するような退屈な時間を過ごしていたと思う。
たくさんの人と出会い、笑い合い、語り合い、ぶつかり合い、殴り合い?
いい経験をしたと思っている。
ここでの人との出逢いはかけがえのないものだと思っている。
たくさんの出逢いに感謝し、BHに関われた偶然にも感謝したい。
本当にありがとうございました。                                  



丸之内 俊介


4年間ほんとそれなりにやってきた自分にとって伝えたいことってなんだろかーって考えた。いやあんま考えてないけど。まぁ読んでやって下さい。

いまBHで頑張ってる人たちは子どものために何ができるか、どうしたら彼らの成長に繋がるのか等々、常に考えてると思うんですよね。時には事務所に何日も泊まって議論したり、何回も何時間もMTしたり…。
それってもちろんすごく大切なことで、考えることはやめないでほしい。

けど、皆は子どもと同じ位自分を大切にしてますか?と言いたい!

まぁこれは何にでも言えることなんだけど、BH等で深く関わってくると、自分自身のことよりも、相手のこと、イベントを優先したり、大切にしたりしがち。

自分自身も大切な存在であることを忘れないでやってほしい。

アサーションな関わりと言うらしいんだけどね。
自分の主張(できること・できないこと。したいこと・したくないこと)はちゃんと相手に伝えるって当たり前のこと。それって意外と対人援助やボランティアをしている人は忘れがちなんじゃないかと思うんだ。
自分は子どもと同じ位大切な存在で、自分を大切にするってことは相手に自分のことをきちんと伝えることだと言いたい。

ちょっと何書いてるかわからんくなってきたけど、そういうこと。自分は全然できてないけどね。



最後にこの4年間BHにいたのはほんとにほんとに先輩、同期、後輩、能島さん、よりおさん、WTの先生方等全員のおかげだなーてつくづく感じる。魅力的で優しく、厳しい人たちばかり。
迷惑ばかりかけましたが4年間ほんとにありがとうございました!
大学早く卒業したいZE!


宮崎 亮太


BHでの活動を振り返ると複雑な思いです。
真剣でなかったこともあります。
恥ずかしくなるようなこともあります。
実に情けない。
しかしそんな自分を受け入れてくれた人たちがいたこと、
自分がいかにちっぽけな存在であるかを思い知る機会を与えられたこと。
本当に恵まれていたと思います。

残念なことにどれだけ自分を偽っても取り繕っても
無理なものは無理でした。
弱さや不甲斐なさも自分の一部と認めて
受け入れた上で、かつ自分をあきらめない。
そんなメンタルのあり方を今なお模索中です。

そして今はただ働きたくないという気持ちでいっぱいです。
しかしBHで得た経験やつながりが
今後の人生の糧となっていく予感もいっぱいです。

みなさんが今置かれている状況は
もしかしたら充実しているかもしれないし、
もしかしたらしんどいのかもしれません。
ただ言えることはその経験をできるのは今だけです。
あとは何もかも自分次第。





佐本 友香


BHと出会ったころ、私は自分の居場所を探していました。
安心して自分を出せる場所を。
自分のことを必要としてくれる人を。

ある人が、「さもとは『必要とされたい病』だ」と言いました。

誰かに必要とされていることを感じられないと、
不安になる、悲しくなる、どんどん自信が持てなくなる。
確かに、私は『必要とされたい病』でした。

でも、私がここで出会った大切な人たちは、
共に笑ってくれました  共に泣いてくれました
励ましてくれました  叱ってくれました
支えてくれました  頼ってくれました
受け止めてくれました  ぶつかってきてくれました
自分を出させてくれました  自分を見せてくれました
そして、こんな私を必要だと言ってくれました。

時には、苦しいことや、辛いこともありました。
それでもBHを離れなかったのは、BHを離れられなかったのは、
自分を素直に出せる心地よさがあったから。
誰かに必要とされる喜びがあったから。
私が関わったすべての人たちの一挙一動が、私のパワーの源になりました。
私が関わったすべてのイベントが、
子どもたちのキラキラした笑顔が見られるなら、大切な仲間が一緒にいてくれるなら、
自分が持っている以上の力を発揮できることを教えてくれました。
『必要とされたい病』はあいかわらずだけど、BHでの経験を通して私は少し強くなれました。
これから活動を続けていくみんなも、
辛いときこそ、子どもたちの笑顔を思い出してください。
苦しいときこそ、支えてくれる大切な人たちの温かさを感じてください。
きっとあなたの存在も、誰かのパワーの源になっていることを忘れないでください。
大好きな子どもたちへ、大切な仲間たちへ、感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとう。
あなたたちと一緒に過ごせた時間はとても居心地がよかったです。


大切なもの

春藤 智美


BHで過ごした4年間。

それは、決して楽なものではなかったけど

今の私にとって大切な宝物。

たくさんの仲間と一緒に笑って、泣いて、考えた日々。

そんな思い出の中で、みんなに伝えたい事はたくさんあるけど、
ここではそのうち三つだけお話します。


一つめ。すごい人、偉い人にならなくて良いから、自分がすると
決めたら最後まで逃げずにやり遂げて。
 
二つめ。「想い」を持ってキャンプや企画を作って。
    「何で自分はキャンプや企画をしてるんやろ?」ってもし思った時には、
    最初の気持ちを思い出してみて☆

そして、三つめ。しんどい時には誰かに「しんどい」って言おう☆

BHで経験を積んでいくと、自分一人でできる。と思ってしまう時もあるけど
そんな事はない。みんなが支えてくれて、自分がみんなを支えているからこそ
できるんだって事を忘れないで。
辛い事を自分一人で抱え込まないでね☆☆


これからも、子どもの「楽しい」を本気で考えていくみんなであってください。
BHをよろしくお願いします。

    

ありがとう



箭内 佑己


BHを卒業するにあたり、4年間を少し振り返ってみることとする。

1回生の秋に共に卒業する友人の勧誘でBHに飛び込んできた。
はじめてのイベントは、外国人と中高生とバーベキューをして、「アンカン」と呼ばれる業務をしながら、参加者との会話を普通に楽しみ、その後は卑猥でしかない打ち上げ。
次に参加したイベントは、やたら長い列で2列に並び、子どもが少しでも列を飛び出すと怒られる異様な光景。育ちのよさそうな子どもたちを遠足に連れて、何の意味があるのだろう?
なにもわからずに飛び込んだ世界はつっこみどころ満載で、「ボランティア」という自分にとって縁遠いキーワードがとびかっていた。

そんな自分にとってよくわからないところであったが、BHに関わっていこうと思ったきっかけが2つある。

あるミーティングで、大学生が参加者である子どものことを考えて、意見を出し合っていた。それは真剣なものであり、自分にとってひさびさの感覚であった。大学のサークルを探していたときには沸いてこなかった感覚。

多くの子どもを引き連れるあるイベントの解散時、司会の「今日、楽しかった人?」の声に、子どもたち全員が「はーい!」と手を挙げる。鳥肌がたった。
自分にとってボランティアとは、貧困、環境問題などいかにもなものであったが、裕福な子どもたちであれ、これだけ大勢の子どもを楽しんでいる、という事実でそんなことはどうでもよくなった。

それから、空前絶後の備品の多いバスレクをしたり、非常に経験が少ないにも関わらず、BH恒例の勧誘の嵐にのせられて、サタデープロジェクト2006の会計責任となる。

2回生の一年間は、サタプロ一色であった。はじめの事務作業の量の多さに「騙された!」と思いつつも、コアに怒られたり、悲惨やと言われたりする中で、「なにくそ」と活動した。子どもがいつの間にか大好きになり、多くの人と出会い、助けられ、人生で最も無条件で人に感謝をすることができ、最高の仲間ができたイベントであった。

3回生は、勉強したい気持ちとサタプロで、自分の中でこれ以上のイベントを行うことはここではできないと自分勝手判断で、BHから遠ざかっていった。
その年の卒業パーティーで、下の世代へなにかを伝えることの責任を感じた。
卒業年となった4回生。
まさかこんな事態になるとは予想もしていなかった。「駄菓子屋やるねん。手伝ってくれへん?」 の一言に食いつき、様々なハプニングや浮き沈みを経て、駄菓子屋代表となる。おまけになにかよくわからない役職までついてきた。
事業の大きさにとまどいつつも、「やる」という決意1つで動けば周りはどんどん加速し、本当に多くの方々にご支援いただいた事業となったが、最後の最後で、思いがけない結果に支援者の方々に申し訳なさでいっぱいで、愕然となる。
そこから、またしても支援者の方々のおかげで、なんとか「駄菓子屋本舗やなや」という形を残せ、子どもたちが毎日来る居場所として根付き始めた。


ここまで振り返ってみると、自分のやりたいことばかりやってきたようである。

本来なら、先輩方が後輩に残していったようにおれもなにかしなければ、という想いが4回生になる前からあった。

総責、派遣、事業部、理事、役員、多くのイベントへの参加、後輩とご飯、研修を開く…など、様々な選択肢がある。

自分の選択は、「新しいことへの挑戦」をする姿を後輩に見せることであった。
到底学生に任せるような規模ではない事業をBHは学生に任せてくれたのである。

今回の挑戦はまだまだ、発展途上であるが、これをきっかけに、BHのみならず社会を盛り上げる“挑戦”が次々とでてくることを願う。



…そして、 ありがとう がいっぱいの4年間でした。

ありがとう




村井 真優


もうこの文集を書く時が来たなんて。

長いようで、あっとゆう間の4年間。
めちゃめちゃ濃かった4年間。


いろんなイベントに行って、
その度いろんなことを感じました。

嬉しい、楽しい、幸せ、って感じたこともあれば
悔しい、情けない、辛い、って感じたことも何度も何度もありました。

でもそんないろんな全部があったから
今の自分があるんやろうなあって思うし、
何よりそのいろんな全部をひっくるめて、
BHと出会えて、BHで活動できてよかったってほんまに思います。
いろんなことがあったけど、やっぱり素敵な4年間。

おそらく
この4年間を素敵だと思える一番のことは、
素敵な出逢いがたくさんあったことかなあ。

参加者やらスタッフやらその他いっぱい・・・
BHを通して出逢った、
大切な大切な人たち。
めっちゃ愛しく思うし、
そんな人たちに出逢えたことが
ほんまにめっちゃ幸せです。


この先もいろんなことがあるんだろうけど、
ここでの出逢い、出来事、ここで感じた気持ちを忘れないで、
目の前のことに向き合って、一瞬一瞬大切にしていこうって今強く思います。
そして、
はっきりとしたことはわからないけれど、
ここでの活動は私にほんまにいろんな影響を与えてくれたし、
これからもきっと何らかの影響を与えてくれるような、そんな気がします。

うん、やっぱり、BHに関われてよかった。


もっともっといろんな想いがあるのだけど、
まだなかなかまとまらないのでこの辺で。
これから少しずつ消化していけたらって思います。

ではでは、
気持ちを伝えるのが下手くそな私ですが、
最後にこれだけはほんとに伝えたい!!


関わってくれたすべての人、
心からの感謝の気持ちでいっぱいです。


ほんとにほんとにありがとう。




竹澤隼人


拝啓 この文集を読んでいるあなたへ

どこで、何をしているのかな。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
隼人です、お元気ですか?
私は今のところは元気です。
Yシャツとネクタイを買い、健康診断を受けて印鑑も発注しました。
引っ越しの準備はまだですが、
 今日は皆さんに手紙を書いてきました。


職員の皆さんへ
 たくさんの学生を見てきた中で僕はどうでしたか?
 きっと、扱いづらい奴だったと思います。
 たくさんの叱咤激励。
 根に持ってたこともあったりしましたが、
 今ではその1つ1つが宝物です。
 4年間本当にお世話になりました。
 ブレーンヒューマニティーとの出会い、ここでの活動は僕の誇りです。
 サッカー以外でこんなにも夢中になったものは初めてです。
 本当にありがとうございました。

後輩の皆さんへ
 俺はあなた達にとってどういう存在でしたか?
 きっと、良い先輩ではありませんでした。
 人材管理担当常務理事まで務めましたが、新入生からどんどん遠のく自分がいました。
 これは、自分にもよくわかりません。
 フレッシュなパワーや熱い気持ちは大好きです。
 俺は一見「恐い」、「近寄りがたい」と言われる事もあったそうです。
 けど、そんな自分にも近づいてきてくれた後輩が数人くらいはいたように思います。
 ありがとう。
 そして、キャンパスや町中で挨拶してくれたのに冷たい反応してしまった人、
 ごめんなさい。
 卒業はしてしまうけれど一応は自分が表立って勧誘して入ってきた子達です。
 何かあれば連絡でも下さい。

卒業生の皆さんへ
 卒業旅行疲れはとれましたか?
 4月からはいよいよ社会人ですね。
 はい、ありきたり過ぎすね。
 隼人です。
 みんなは俺にとって宝であり強みです。
 「勝手言うな」と言わないで下さい。
 これ、1回就活で使ったんやから。
 なんせ、自分勝手な俺です。
 これからもそうそう自己主張は収まらないと思いますが、よろしくです。 

先輩の皆さんへ、
 俺、もう卒業です。
 人生の夏休みが終わりです。
 留年はしませんでしたよ。
 社会はどうですか。
 また、ご馳走されに行きますね。
 先輩達がいなくなって、あなた方の大きさにまたまた気づかされました。
1、2年でこうも違うのは何故でしょうか。

今日は2009年3月12日(木)で、卒パ前日です。
文集の提出かなり遅れて申し訳ない。
A4用紙2枚ということでもう少し。

留年するおバカさんへ
 バカですねぇ、うちらの代までですよ売り手市場。
まぁ、もう1年学生出来ることに対しての羨ましさは半端じゃないですが。
 くそ満喫して下され、先に社会で足掻いてまする。

退学した君へ、
 アホやけど尊敬出来る人間やわあんた。

最後に、
竹澤隼人、今日限りで会わない人間がいようと死ぬまでには俺の名前もっぺん聞かせるようなでかいことしてやるんで覚悟しといて下さい。 って締めくくれば10年後のネタに。
 ほな、またね。                              敬具




卒業文書

中村 玄揮


 私は大学生マレーシアスタディーツアー2008年夏の実行総責任として、ブレーンヒューマニティーでの活動を経験しました。今あの夏を振り返ってみると、主観的にも客観的にも、自分の力が微々たるものでしかなかったにしろ、それまでの自分の人生で得てきたいいもの、悪いもの、その全てを駆使して作り上げた夏だったと感じます。私は大学生活を5年間過ごしてきましたが、ブレーンヒューマニティーの活動にボランティアとして関わることが出来たのはその1度だけでした。しかし、そのたった1度だけでも私は今までの人生の中で最も大きな責任を背負い、一定期間内にそのほとんどの時間を費やし、頭を悩ませ、短期間で多くの変化が生まれました。今、大学を卒業するに当たり、あの夏のツアーの実行総責任として、自分の経験を振り返りながら、文書にしてみたいと思います。
 私がツアーの実行総責任をするきっかけとなったのは、2006年の夏に同じマレーシアでのスタディーツアーに参加者として参加した事です。私は当時大学3回生で、留学や自分のキャリアを考えていく中で国際協力に興味を持ち始め、自らの手で何かがしたいと感じてスタディーツアーに参加しました。そこで私は確かに自分の手で植林をし、自分の目で現地の人々の生活を目の当たりにしました。しかし、私はその経験を「それだけ」とも感じました。自分がしたことは本当に村の人々のためになっているのか、環境のためになっているのか。私はその答えが分からず、自分の経験が受身になっていることがその原因のように感じました。だからこそ、次は実行総責任という立場でツアーを作り上げ、その本当の意義を理解したいと感じていた所、事業部代表に声をかけられた次第です。
 イベントの準備をしている時期は、大変だったという印象が強いです。一つのイベントの裏にどれだけ多くの人々の苦労があるのかを痛感しました。自分自身も、今まで経験したことの無い作業、仕事、そして何より実行総責任という立場での人との関わりあいとその重責に苦しみました。その過程では多くの人にご迷惑をおかけしました。テスト期間中なのに終電まで作業をさせてしまったスタッフ、スケジュールが詰まっているにも関わらず期限直前になんとかチェックをしていただいた方々、意思疎通がうまくいかずに混乱を生んでしまった方々。不甲斐ない自分を周りの人たちと比べ、いつも引け目を感じていました。
 しかしそのひとつひとつを、スタッフを中心とした周りの人々と共に経験し、その度に自分の課題を見出しながら、自分なり、私達なりのツアーを作り上げていきました。そして現地へ行き、ツアーの参加者たちが彼らの手で植林活動をし、彼らの目で現地の人々の生活を目の当たりにしました。確かな経験を得た後の参加者たちからの言葉を聞いたときは達成感を感じました。彼らが自ら生み出した経験だとは言え、私たちからも影響を与えることが出来たと実感したからです。彼らが感じたこと、これからしようと思っていることを聞き、そして多くの感謝の言葉をいただきました。
それでも、今振り返ってみれば、「もっと」と思うことが多くあります。「もっと」スタッフに影響を与えることができていれば。「もっと」高く目標を掲げ自分に厳しく活動ができていれば。「もっと」自分が腹を割って意思を伝えていれば。「もっと」自分を中心とした、周りの人々の立場に立つことができていれば。
 そうやって見つけた「もっと」は、私が見つけた課題です。その課題を、私はあのツアーの中で実現することはもうできません。だから私は、次なるフィールドでそれを実現することを念頭に置き、生きています。それはアルバイトでも、普段の人間関係でも、そしてこれからの仕事にもです。
 できることならばもう1度、この課題を解決することで恩返しをしたかったです。しかしそれはもうできません。だから私はこれからもリーダーシップを持ち、自分に厳しくすることを忘れずに生きていきます。それが私があの夏に得たことであり、お世話になったことへの恩返しであると思っています。




鳥井 亮佑


この場所には「涙」があった。
自分の涙もあなたの涙も全ての「涙」がここにはあった。

特定非営利活動法人BrainHumanity、ビラに書くときは「クーパーブラック??」で書かなくてはならないこの団体に関わり始めたのは高校3年生の冬。間違いなく騙されて参加したスキーから大学の4年間は始まりました。高校の友達(平山)に「とりーちゃんボランティアに興味ない?」って言われ、言われるがまま参加したものの高校の友達(平山)は参加せず、いきなり何をしていいかもBHのシステムも何も分からないまま、派手な格好のあすこにビビリ倒し、結果、子どもに雪に埋められてイベントが終了。同じイベントがBHの初イベントだった新多のたろーさんは羊の帽子をかぶって人気者。まさにただの混乱で終わった初イベント。絶対にもう関わる事が無いと思った団体にどっぷりとつかってしまいました。

 この団体の勧誘を断る事ができずに参加した5月に行われた「たけっこキャンプ」このイベントが自分の4年間どころか人生を変えたと言っても過言ではないかもしれない。当時、大学の勉強が全然分からなくて大学なんて辞めてしまいたいとずっと思ってて、それこそ自分の全てを失くしたいと思っていたこの時期に言われた子どもからの一言。
「何でそんなにしんどそうなん?」
こいつが俺の何を知ってんねんって思いながらも、子どもの繊細さやするどさ自由さが何か無性に可愛くて、自分が悩んでるのが馬鹿馬鹿しくなった。そして、何か自分の悩みが減った気がするし、何よりも子どもの笑顔ですごく元気が出た。
その時「4年間で、自分に元気をくれる子どもに自分も全力で何かしてあげよう」って思った。そこから自分はBHに対して本気になった。

 2006年サタプロの総責になった。不安だった。年間2000人近く集まる子どもとスタッフ、それをまとめる能力が自分にあるとは思えなかった。でも前サタプロ総責のしょーごさんに本当に憧れて、こんな風になりたいって思って、それに少しでも近づけるなら苦しくても頑張ろうって心から誓った。初めて本部をする時に必要なのは「能力」や「時間」や「仲間」じゃなくて間違いなく「憧れ」だと思う。ただ我武者羅に「やるならとことん」を胸に本気で頑張った1年間。サタプロが終わったときに得たのは4人だけの最高の仲間じゃなくて、間違いなく100人は超える仲間だった。子どもも後輩も先輩もサタプロを楽しみにして、イベントに参加してくれた。不甲斐ない総責に対し、優しい言葉をかけてくれ、共に終わりを祝ってくれ、褒めてくれ、「ありがとう」っていっぱい言われた。初めて嬉しくて涙が止まらなかった。悔しくて涙が止まらなかった日もあった。情けなくて涙が止まらない日もあった。でも最後は嬉しくて涙が止まらなかった。「サタプロをする者」だけが得る言葉では表せない物を受け取れた気がした。

 3年の夏には絶対にやりたかった初キャンの総責をした。自分が初めて参加した夏のキャンプの総責は4回生の先輩で、すごく明るくて後輩の事を考えてくれる素敵な人だった。その先輩の背中がかっこよくて、自分も無理かもしれないけど後輩にそんな素敵なキャンプを経験して欲しくて子ども達を忍者の世界に招待した。すんごく辛かった。総責の重み、全てを背負うための覚悟、人を信じることの難しさ。初めて事務所でつらくて人前で泣いた。後輩だった自分から先輩になる自分っていうのは思っていたほど簡単じゃなかった。でも、得たものは大きかった。今でも後輩は自分に楽しそうに最近の話を聞かせてくれる。「忍者」の話をしてくれる。それだけで十分やった意味はある。十分すぎるくらい自分のやった事に誇りが持てた。誰がなんと言おうが、俺の中で「忍者」が最高のキャンプだ。

 4年の夏にずっと見ていた後輩が総責をするキャンプに参加した。そいつの思いをしっかり見ることができた。先輩としてこんなに嬉しい事はない。彼もまた、後輩にいっぱい思いをもって伝えて、後輩から先輩に代わっていた。


最後に
この場所には「涙」があった。
自分の不甲斐なさを痛感して流した「涙」
一人じゃないって感じ、嬉しくて流した「涙」
辛くて耐えられなくて流した「涙」
先輩が卒業してしまう悲しさで流した「涙」
キャンプをやり遂げた時に帰りのバスで流れた「涙」
自分にも、頑張っている後輩にも、辛さを表情に出さない同期にも、自分を支えてくれた先輩にも、人の数だけ「涙」があった。
多くの涙を掬ってあげ、多くの涙を掬ってもらった。
大学生にも子どもにも、みんなに感謝している。
「ありがとう」
僕はこの4年間で少し強くなりました。




BHで学んだこと

堀谷 和章


 BHで学んだこと、それは「つながりの大切さ」だと思う。
 BHは大学内にある部活やサークルとは規模が違う。何百人というスタッフがいて、回生もバラバラで、さらには大学も違う。そんな中でキャンプやサタプロが成功するのはやっぱり「スタッフのつながり」があるからだと思う。
 僕は今までに3回大規模キャンプに参加した。サッカーや野球のようなチームワークのいるスポーツでは1年経ったところでメンバーがそんなに変わるわけではない。ただ大規模キャンプは1年経つと、スタッフはほとんど変わる、キャンプに初めて参加するスタッフもいる、そして本部も変わる。キャンプでチームワークはすごく大切だと思う。では何故このようなことが起こるのだろう??
 
まず、総責が決まる。すると総責は自分と「つながってる」スタッフの中で共にキャンプを作りたい人に声をかけるだろう。そうすることで本部が決まる。すると今度は本部から「つながっている」スタッフに声がかかる。中には参加するスタッフから声がかかる人もいるだろう。つまり、「つながり」によって毎年変わっていくものだと思う。たとえ初めて参加するスタッフがいても必ずどこかで誰かに「つながっている」。 そしてこの「つながり」があるからこそ毎年違うメンバーでも成功するのではないかと思う。
 「つながり」はめっちゃすごいパワーがある。楽しい時共に笑いあうことやアホなことが出来る。つらい時、一緒に愚痴をこぼしあったり、悩みを相談したり、乗り越えたり出来る。そして何より子供達の笑顔を作り出すことが出来る。そして最後はみんなでお疲れさまと言って涙を流しあうことが出来る。またこの「つながり」は後々まで続く。そしてまた新たな「つながり」を生み出していく。こんなに「つながり」を感じることは滅多にないんじゃないかなぁ〜と思う。僕はBHを通してほんとにたくさんの人と「つながり」が出来た。おかげでとても楽しくて充実したものになったと思う。
 
もし「つながり」がなければ企画は成功しないし、まして楽しいと思わないだろう。だからこそ様々なとこで「つながった」関係をいつまで大切にしておいたほうがいいと思う。そうすることで自分自身も成長し、また、楽しい思い出もどんどん増えていくのだと思う。4月から社会人になり、もう会うことはないかもしれないけれどもここで出来たつながりを大切な思い出にしておきたいなぁ。




『BHと出会った私』  

康本 麻希(やっすん)


BHと出会ったのは確か11年ぐらい前。
友達に誘われるままにイベントに参加した。
楽しくて楽しくて仕方がなかった。
BHからイベントの案内が来るのが待ち遠しくて仕方がなかった。
封筒を開けてカレンダーで予定を確認してお母さんに「早く申し込んでー」って言った。
はがきの表面に朱書でイベント名を書いた。
抽選でもれた時、本当にショックやった。悲しかった。
阪急電車でスゴロクをした!!サイコロを振って6出たら6駅進んで、改札降りたらお題を持っているリーダーがいて、お題をクリアーしてまたサイコロを振って次の目的地を目指した!!電車の中から他の班が見えたらドキドキした。
自分がゲームの世界にいるみたいだった。むちゃ走ってゴールを目指した。
たくさんゲームを教えてもらった。
琵琶湖にキャンプをしに行った。
むちゃ暑かった。確か最終日にアイスかかき氷か冷たいジュースを飲んだ!!
むちゃ喜んだ
琵琶湖で泳いだ!!
安管をしているリーダーにぶら下がってひたすら遊んだ!!
次の日からは安管をしているリーダーの近くに行ったらダメって言われた。
なんでか全然わからなかった。
リーダーがそこにいる意味もわからなかった。
でも今なら理由がわかる気がする。
夜は好きな人の話をした。
リーダーにひたすら「このキャンプに来ているリーダーでやったら誰が好きなん?」
って聞いていた。
この前スケートに行ったとき、3年生の子どもと好きな人の話をした。
今度は子どもから「リーダーはこの中にいる人で好きな人おるん?」って聞かれた。
なんか変な気がした。
たくさんゲームを教えてもらった。
中でも私は「たろうくん」がお気に入りでずっと歌っていた。
家に帰ってからお母さんに教えた。
お母さんは「よかったねー」っていうてくれた。
このキャンプでリーダーからもらった寄せ書きみたいな手紙みたいな想いでの品は
今でも机の引き出しの中に入っている。
たまに見るとにやけてくる。
中学になってクラブに入ってまったく行けなくなった。
勇気を出して仲良かったリーダーに手紙を書いた。
覚えてくれているか不安だった。。
リーダーは覚えてくれていて返事をくれた。卒業旅行のお土産もくれた。
嬉しかった。
高校3年生の時、私立なら関学に行きたいと思った。
家から近いし、そして何よりBHがあったから。
絶対に大学生になったらリーダーになりたいって思っていた。
お母さんいわく、イベントから帰ってくる度に「大学生になったらリーダーになるから」って言っていたらしい。。
関学は落ちた!!立命に行くことになった。
大学は家から遠かった。。BHは諦めた!!
でも気になってHPを見た。
「サタプロ」って文字が気になって詳しく見て、やっぱり行きたいーって思って。。
当時の総責だった章吾さんに直接電話した!!
5月のサタプロに行くことになった。
緊張しながら行った。周りは知らない人ばっかりやった。
あさばと二人で安管をして甲子園浜まで行った。
『やっすんリーダー』っていう名札をつけた。子どもから「リーダー」って呼ばれた
むちゃ変な感じがした。でもどこかで嬉しかった。やっと夢が叶った。
それから夏のキャンプに行き、サタプロのコアをして4回生の先輩の凄さを感じた。
雲の上のような存在やった。
冬にはスキーの本部をした。わからないことだらけやった。でも楽しかった。
子どもは可愛かった。
サタプロの副責をした。怒涛の1年やった。本部の4人でいるのが本当に楽しかった。
コアと準備している時が楽しかった。1年生が本当に自分の子どもみたいで大切だった。
可愛かった。
プレサタの本部をした。たくさんの新入生と話した。この新入生にBHの楽しさ、子どもの可愛さ、企画を作ることの大変さ・・色んなことを伝えたいと思った。
キャンプの本部をした。泣いた、悩んだ。
29人の子どもは本当に可愛かった。リーダーは本当に親みたいだった。
イルカは予想以上に大きかった。

BHと出会って11年。
参加者として、リーダーとして、楽しい思い出をありがとう☆
たくさんの経験をありがとう☆



「旅」

サンコン


今、目を閉じてBHの活動を振り返り、目を閉じて自分の胸の声に耳をすましてみる。
「仲間」
という言葉が、力強くあちこちから溢れ聞こえてくる。


こんにちは、サンコンです。いやはやBHに2回生の夏から関わりだしてもう卒業か・・・
あっという間でした。この「BHでの活動」という旅は、多くの物を与えてくれました。そして、私を大きく変えました。いやはや本当に変わりました。昔の私は、「繁華街で固まって地面に座って、たばこを吸っている高校生達」をイメージしてくれたらいいです。少―し、オチャメな悪いこともしていましたが、まぁ若さゆえです(笑)。そんな異世界の人間がBHに関われ続けたのだから、人生はおもしろい。
 やっすんから「サンコン子どもすきやろー。秘密基地作るキャンプあるからこーへん?」てメールに「いくー」ってあっけなく返信したのが、始まりのきっかけでした。まぁ事前準備からキャンプ終了までを通して、カルチャーショックがたくさんあった訳ですよ。悔しかったんですよ。前でしゃべっている総責と俺はため年なのに(俺は浪人しているので、学年は1つ上)人間の器が違いすぎる。そんなことを感じ、絶対に追いついてやる。って思い続けて、がむしゃらにいろんな事に手をだしながら走ってきた訳です。
 釜ヶ崎ワークショップで「史上最低の総責」というレッテルをはられ、
母子島キャンプの総責体験では「人生の中で誇れる出来事」を手に入れ、
ポレマレの副責体験では「挑戦し続ける大切さ」を知り、
ステップアップ研修の本部コア体験では「共に戦っている多くの同志達の声」を聞いた。
他にも、
レク系では、写真会本部、キャンプ4本、デイイベント45回(サタプロコア2回含む)
HEP系では、キャンプ1本、デイイベント7回、家庭教師1年6ヶ月、ほっとスペース1年
9ヶ月、研修系3回(参加者及びリーダー)
その他系では、フレキャン2回(リーダー、スタッフ)、理事選、etc・・
などなどで非常に濃い期間を過ごしました。
これらたくさんの小さな旅の積み重ねが今の俺を形作っていて、無駄な事など一つもなかったと思う。いつの間にか「追いつこう」ってがむしゃらに走っていた俺が、「追いつこうと背中を追いかけてもオリジナルには勝てない。だから俺は俺の輝き方でやっていこう。」って決意をするようになって、今では「先輩たちから受け継いできたもの、俺が得たものを後輩たちに紡いでいきたい。」ってかっこつける様になった。
 そしてこれら多くの旅の中では、いつも俺の周りには仲間がいたんだ。
子ども達の笑顔が見たいと夜遅くまで一緒に企画書を打ったり、名札を作ったりした仲間もいれば、涙を流しながら思いの丈をぶつけてきてくれた仲間もいた。
夜通し愚痴をこぼし合った仲間もいれば、真剣に俺の事をしかってくれる仲間もいた。
卒業したが今でも変わらず、俺と遊んだり、悩みを聞いてくれたりする仲間もいれば、見違えるくらい成長を遂げ、第一陣で大きな事に挑戦しようとしている仲間もいる。
俺とは全く正反対だが、共に同じ目標に向かって走った仲間もいたし、不登校との子との関わり方がわからずに悔し涙した時に支えてくれた仲間もいた。  
これら多くの仲間との想いでは、「BHでの活動」という旅でみつけた本当にかけがえのない宝物で、一生価値を失わないって信じている。

この文章を読む人それぞれにいろんな旅があり、これからも続いていくのだろう。BHで旅を続ける人も多いはず。できればみんなも、何かある度に、周りを見て欲しい。うれしかったり楽しかったりした時は、一緒に喜んでくれる仲間がいるはずやし、涙したり、悩んだりした時はきっと仲間が手を貸してくれるはず。同時に、仲間の旅を見て欲しい。喜んでいれば、共に笑い、苦しんでいたら助けて欲しいと思う。これは、強制ではないし、できる事ではない。ただ、そうなることを切に望み、してくれると信じている。

今回これで俺の「BHでの活動」という旅は終わり、これからまた新しい旅に出発します。寂しい気持ちはあるが、不安な気持ちはあまりない。たぶん、俺の旅のカバンには宝物が入っているからだろうな。この宝物は辛いことや苦しい事が起こった時にきっと俺を勇気付けてくれる。しかも、使っても無くならない。これからもたまには、みんなが旅のカバンにつめこんだ多くの宝物を俺に見せて欲しい。そうすれば、俺が新しく得るであろう宝物や今までの宝物を見せる事ができるし。

あのたくさんの子ども達や新しく入ってくるBHの後輩達、
というかBHに関わる全ての人たちをよろしくお願いします。
じゃあ、いってきます。

「またね。」


最後になりましたが、能島さん、よりおさん、あきまささん、そうへいさん、ぐっちさん、辰巳さん、春日さん(今はいない方もいますが)、このような素敵な旅のエスコートをしていただきありがとうございました。これからの長い旅でも、戦い続けていく決意を得る事ができました。本当に本当に感謝しています。




山田 理恵


長いようで早かった。
こんなに早く大学生が終わってしまうなんて思ってもみなかった。
そんな短い大学生活でBHに出会えて活動できたことを本当に感謝してます。

BHとの出会いは、たまたま高校の部活の大会で先輩(御存知まりおチャン)に会ったことから。
この時、たまたま先輩はキャンプ帰りだった。

この『たまたま』がなかったら私はBHに出会うことはなかった。
そんなたまたま知ったところにこんなに一生懸命になれるとは。

最初はただただ楽しかった。本当に楽しかった。
逆に考えたらあまり何も考えていなかった。でも、だから純粋に楽しむことができた。

けれどそんな楽しさも長くは続かなかったよね。

1回の夏。とても大切な出会いをした。あんなに怒られたことはなかったんじゃないかって思う。本当にとても熱い想いを持ってて、甘ったれた私をたくさん成長させてくれた。大嫌いって言っていいほど嫌いだったけど、イベント終わった後には大好きになった。本当に尊敬している。素敵な先輩に出会った。
そして1年間突っ走った。

2回の夏。とてもBHが嫌になった。なんで自分がここで活動しているのかわけがわからなくなった。なんでこんなに時間をかけないといけないのか。なんでこんなにお金をとられないといけないのか。なんでこんなにしんどい思いをしないといけないのか・・・。
やりたいことを何か優先したら、それに応じて何かが失われる。
だけど、イベントを待っている子ども達がいる。一緒に頑張っているスタッフ達がいる。だから必死になって頑張れた。そして責任の重さ・価値観の違いを痛感したのもこの時期だった。いつでも話しを聞いてくれる先輩・可愛い後輩にも出会った。
この時、私に後輩・同期のことを気遣う余裕なんて全くなかった。
この夏を機会に少し休憩。

3回の夏。やっぱりキャンプが好きだと気付いた。少しBHから離れていたこの時期は夏に1本だけキャンプに行った。当日スタッフだった私をウェルカムで迎えてくれた先輩。初対面の後輩。久しぶりのキャンプだったけれどとても考えることが多かったキャンプでもあったな。『これから、また活動しよう』って思ったけど現実ゼミが忙しく不可能だった。
そして、また休憩。

4回の夏。4年目にして初めて大規模に行けたことに満足。はじキャンばかり参加していた私にはとても新鮮だった。自分が最高学年だって実感。言葉の重みが大きくなったんだなって実感。子どもに対してだけじゃなくて後輩にも叱ることが必要なんだって気付いた時。叱るのではなく教える・伝えるって表現の方がいいかな。
3回の時離れていた分、4回生ではたくさん活動した。まさか冬に本部をするなんて思ってもなかったよ。4回になってもこんなにたくさん叱られるなんて思ってなかったよ。だけど、見捨てられてないんだなって思えて、頑張ろうって思えて、叱ってくれる人がいることに感謝です。

なんとなく夏をピックアップしてみました。
夏以外にも色々あったなって思うよ。ほんとに。子ども達のことで悩んだ日々もあったよね。
いくら悩んだって子どもが好きなんだ。いくら叱っていたって大好きなんだ。
子どもから悲しい言葉をもらったこともあった。だけど嬉しい言葉をもらったこともたくさんあった。私はやっぱり子どもが好きなんだって確信できたんだ。
思い出したらこんな紙に書ききれないよね。ほんとに。


こんな楽しいことばっかりじゃないBHでなんで活動できたのか。
それはやっぱりたくさんの仲間がいること。
先輩がいて同期がいて後輩がいて。学校も住んでるとこもバラバラで。
大学生になってこんなにたくさんの出会いが出来るとは思ってなかった。(女子大だもん)

そんな仲間の
笑顔に出会った。
優しさに出会った。
厳しさに出会った。
面白さに出会った。
涙に出会った。
喧嘩もした。
話しもした。
ご飯もした。
遊びもした。
バカもした。
・・・。
たくさんのことをした。

そんな仲間とバラバラになるって考えたら寂しくてしょうがない。
だけど、これからが始まりなんだよね。
BHでの4年間は人生のほんの一部なんだよね。
この一部をいつまでも忘れないで前進していこう。
また集まってああだこうだ言いたい。

そんなことを思える仲間に出会えて幸せです。
そしてたくさんの子ども達に出会えて幸せです。

みんな本当にありがとう。



たまたま知ったこの場所でたまたま出会った仲間達と大切な時間を過ごしてもいいよね。

Specific Not for Profit Corporation BrainHumanity