卒業生の声
2007年度卒業生文集

過去のOB・OGのメッセージはこちらです。



「4年間の月日」

山本 真梨子

 大学生活の4年間、皆さんはどんな学生生活を送りたいと考えていますか?
「何かをしたい!」「これだけはしておきたい!」「ここに行きたい!」きっと学生の数だけ、色々な考えがあると思います。 もちろん私にもありました。
結果、高校生の時に大学生活でやりたいと考えていたことは4年間で悔いなくやりきった感が今あります。しかし、それら以外にも、自分が高校生のときに考えていなかったこともプラスアルファとして経験することができました。
 それがBHの活動です。
 
2回生の時にビラを見てHEPに興味が沸いたものの、初めて行ったキャンプは大規模キャンプ。でも、振り返ればそこでの出会いは今の私にとって何ものにもかえがたく、大切にしたい出会いの1つになっています。
 私のBHでの活動は、そのキャンプを初めレクのキャンプをもう1つ、HEPのキャンプ、デイイベント、研修と、BHで活動している4回生の中で1番少ないのではないかと思います。
 しかしそんな私のBHでの経験は、私に2つの大きなものをくれました。
 
1つは『居場所』という存在です。
これは私自身の居場所ではなく、居場所という存在の大切さをBHのHEPの活動を通して気づかされ、考えさせられました。HEPの活動で子ども達に居場所を提供している側でしたが、逆に居場所という存在のことを今までで1番考えるようになったきっかけをHEPの活動はくれました。
 活動を通して居場所について考え始めたことで、私が描いている「誰かのための『居場所』を作る」という夢が、少しずつ膨らみ出したような気がします。
私の作る『居場所』で、くつろげて、癒されて、必要とされ、また来たいと思えるような場所。春からその居場所を作るための第一歩を決断したきっかけが、BHのHEPの活動のように思います。
 
そしてもう1つ。それは一生大切にしたい『仲間』です。
 これについては、もう文字や言葉では言い表すことができません。
 BHに少しでも関わったからこそできた仲間。先輩。後輩。先生方。子どもたち。
 今、このように文集を書かせてもらっているのも、仲間の存在があるからだと私自身思っています。

自分が行動したことは、誰かと出会うためにたどり着きます。出会いを大切に。

青木 大輔


この間アクタのところを一人ボーっと歩いていたら、前から歩いてきたさわやかな、でもちょっとチャラチャラした男の人にいきなり「こんにちは!」と声をかけられた。
見覚えがないので周りを見渡すが自分しかおらず、確実に自分に向かって言っている。(俺こんな友達いたかなー、BHの人かな?!)
と思いつつもとりあえず返事をした。通り過ぎてからしばらく考えたあと…
(あっ!美容院の人か!!)
その人は2か月くらい前に1回だけカットしてもらった美容院の人だった。
毎日たくさんのお客さんが来る中で2か月以上前に一度だけカットした自分のこと覚えてくれていたのがなんとなく嬉しくて、いつも誰でもいいから指名とかしないけれど、次はその人を指名しようと思った。(結局行った時には他の店に異動になってしまっていたけれど…)

もう一つこんな話。

卒論の研究で1ヵ月間長田の小学校に通っていた時に何度か行った定食屋さんのおばちゃん。
小学校に行く途中の商店街にあるそのお店は毎朝、朝早くから仕込みをしているのか8時にはいつも半分だけ開いたシャッターの隙間からおいしそうな匂いがしていた。朝ごはんを食べずに家を出た時には、その匂いがたまらなくていつか行きたいなと思っていたお店。
念願かなってそのお店に行ってみるとカウンターだけ8席くらいの狭いお店におじいちゃん、おばあちゃんがぎっしり、後ろで座って待っているのも老人ばかり。キッチンではおばちゃんが忙しそう。(場違いだなー)と思っていると、
「いらっしゃーい!!」
と甲高い声で迎えてくれた。料理も抜群にうまくて、やさしい味。食べ終わってお店を出るとなんかさわやかな気持ちになった。お腹だけでなく心も満たされた感じ。

次にお店へ行った時には、
「あっお兄ちゃんいらっしゃい!こないだ鯖売り切れててごめんなー。サラダにする?酢の物にする?」
「すのも・・」
「酢の物ね!こないだも酢の物だったねー酢の物好きなん?鯖はおなか?しっぽ?またおなかかな?」
と超早口のマシンガントーク。でもなんか嫌じゃなくて元気になる。たぶんそれは横に座ってるおばあちゃんも、後ろで並んでるおじいちゃんも同じなんだろうなと思った。ひとりひとりのお客さんを名前で呼んで、好みも把握してて、話したことは全部覚えてくれてて、気にかけてくれて、いつも笑顔でニコニコ。

おいしいものは他のお店にもあるけど、このおばちゃんはここにしかいない。だからみんなここへ足を運ぶ。みんなおばちゃんに会いたいから。みんなおばちゃんと話したいから。みんなおばちゃんと繋がっていたいから。ここへ来ればお腹も心も満たされることに気付いてしまったから。

自分自身にとって3回生までBHはそんな場所だったように思う。
変わってしまったのは自分。

子どもにとっても、保護者にとっても、ボランティアにとっても、執行部にとっても心が満たされるBH。
そんなふうになってくれたらな。

長田にあるカウンターだけのちっちゃな定食屋さん。

また行きたい国、また行きたい場所、また行きたいお店、また会いたい人、また聞きたい声。

きっとそんな中にもいろんなヒントが隠れてる。


「想いを形に」

岡部 陽平


ボクは4年間の活動の中で
たくさんの子ども達と
関わってきたけれど、

子ども達の成長を見る事こそが、
BHの一番の魅力だったなぁと思う。

けどボクは最初から子ども達の成長に
魅力を感じていたわけではない。

子どもとの関わりについての考え方には
4年間、いろんな変遷があった。

まずはじめの段階は
「子ども無関心期」
これはBHに入りたてで、
企画を作るおもしろさや、
みんなで備品作りに夢中になる時期。

まだ、子ども達との関わりで、
「こういう関わりをしよう」とかは全然考えて無かった。
企画を作るときも、
企画の目的を書く欄に「子ども達が楽しむため」と考えもなしに書き、
『想い』のこもっていない企画を作っていた。

そしてBHビギナーのボクに事業部から
「本部しませんか?」
という声がかかる。

そして第2段階の
「初イベント本部期」を迎える。
本部としてイベントに関わる時期だ。
ボクは1回生の春にキャンプの副責をしたけれど
スタッフ集めや、事務作業に追われ、
あっという間にイベント当日を迎えてしまった。

この時は、キャンプに来た子ども達が
とにかく安全に過ごすようにだけ気を付けた。

子どもの安全を優先するあまり、
子どもの成長とかを意識してイベントができなかった。

そして最後の段階は
「イベント創世記」
この時期は、自分で子ども達にこんな影響を与えたい!
と思いイベントを作る時期。

「子どもの成長のためにはどんな企画にすればよいか?」
そういった事も考えてプログラムを組んだ。

例えば、企画の目的を
「子ども達が自分の意見を自分で発表できるようにしたい」
としたら、
企画の中でキャンプの目標を紙に書いて
子ども達に発表してもらったりした。
この企画がいいか、悪いかはわからないけど、
コンセプトに沿った企画だった。

企画に正解も間違いも無いけれど、
『想い』のない企画やイベントは
子ども達に与えるモノが少ない。

これからも
BHのみんなには『想い』のつまった企画や、
イベントを作っていって、
子ども達の成長の手助けをしていって欲しいなぁと思います。

ではでは、4年間本当にありがとうございました。
色々あったけど、やっぱりありがとう。

川上 麻里


私がブレーンヒューマニティーという場所で得たもの。
たくさんの信頼できる仲間。
「麻里さん」と慕ってくれるかわいい後輩たち。
的確なアドバイスをくれる頼れる先輩方。
ちょっとしたパソコンのスキル。
社会人となるための基礎。

いつ辞めようか、抜け出そうか、と迷いながらも細々と続けてきた活動の中で、私は本当に貴重なものを得たなと心から思う。

しかし、ブレーンヒューマニティーという場所で得た、最も貴重なものはと問われれば、私は「挫折を味わったこと」だと答えるだろう。挫折とは、中途でくじけ折れること、だめになることを意味する。BHに出会わなければ、この言葉の意味を知ることなく社会人になっていたんだと思うと、ここに出会えたことに心から感謝したいと思う。

今まで生きてきて、勉強もスポーツもあまり苦労することなくこなすことができて、人間関係でもそれほど悩んだことがなくて、自分でも恐いほどに何一つ不自由のない順調な人生を歩んできた。

そんな中で舞い込んできた「マレーシアワークキャンプ」の話。挑戦しようか迷っていた私は、ある人の「決断することよりも、決断してからどう動くかが重要だと思う」という言葉に強く惹かれ、やることを決めた。そして、決めてからの半年は怒涛の勢いで流れた。ほぼ毎日終電近くで帰宅し、本番の前日でさえ1時間睡眠。自分が何のためにやっているのか、目的がみえなくなるほど忙しく日々は過ぎていった。

これだけがむしゃらに頑張ったのに、終わったときに“達成感”や仲間との“連帯感”が感じられなかったのはこれが初めてだった。全然泣けなかった。「これでよかったのか」という疑問だけが残った気がした。目指しているものは同じなのに、スタッフ間で意見が全くかみ合わないし、負担は一人に偏るし、仲間に対しても自分に対してもイライラが募った。こんなにも伝わらないものか、通じ合わないものか、とむなしくなった。自分の中にあった小さなプライドはズタズタに崩され、本当に毎日が憂鬱で不安でしかたなかった。これが“だめになる”ということか、と感じた。
あの挫折感を味わってからもう2年が経とうとしている。いまだに疑問は消えないが、「やらないよりは、絶対にやってよかった」「あのメンバーに出会えてよかった」ということを実感し始めている。あのワークキャンプをやったことで、伝えることの難しさ、自分とは180度考え方の違う人間が存在するということなど、様々な困難を知った。こうやって枠から一歩踏み出し、未知の世界に触れ、多くの困難を乗り越えることで人は成長するのだな、と今なら思える。

もうすぐ社会人。BHでの経験を胸に前を向いてがむしゃらに進みたいと思う。
そして、ここで出会った仲間とはいつまでも繋がっていたいな、と思う。
ありがとう、貴重な経験の場を与えてくれたブレーンヒューマニティー。
ありがとう、一緒にイベントをやり遂げたみんな。
ありがとう、新たな価値観を与えてくれたマレーシアメンバー。
感謝!!



『4回生の1年間』

川上 康弘


07年6月、初めてBHの事務所に訪れた。
大学のゼミの同僚中芝君に大マレスタッフを勧められたのがきっかけやった。
今でもよく思い出すんやけど、その当時はほんまに迷った。
大マレスタッフになることを決めた時も、ずっと悩んで返答を待たせとったまだ会ったことないスタッフ達にNOが言いにくいっていうのが正直な理由やった。
でも、そんな不純な理由で参加した僕を大マレ07夏のスタッフ達はほんまに温かく迎えてくれた。
何も知らん僕に一から色々教えてくれた。
ほんま心から感謝してる。
9月も後半に入って、マレーシアから帰ってきたときには、ツアーが終わって事務所に来る理由がなくなってまうことを寂しく思うようになってた。
ああ、おれここ好きなんやわぁって思った。
大マレ07夏、日曜体験、カンボジアスタッフ研修に今年参加しました。
ほんとこれらのイベントの方々にはお世話になりました。
また、周りで僕を支えてくれたみなさん
一緒にたばこを吸ってくれたみなさん
名前も知らない僕にお疲れ様ですと声をかけてくれたみなさん
1年間ありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いします。




BHに初めて参加した時は、金髪のヤンキーで心もとんがってた

キャンプを通じて、心通う仲間が増えて、信頼できる友ができた

その時に、人を信じるという気持ちが芽生え

キャンプを通じて、子ども達と創作、子ども達と遊ぶ、子ども達を可愛がる

その時に、人を愛するということが理解できた

まさか、自分がボランティアなんてやるなんて考えもしていなかったが、

今では、黒髪の普通のおっさんとして社会に出ていく

まだ、卒業したくない

もっと仲間と触れ合いたかった

でも、新天地に旅立っていきます


楠 亮策




この場所で、いろんな人に出会いました。

会うたび笑いあえる人
キラキラしている人
負けたくない人
ずっと一緒にいたいと思える人
つい殴ってしまう人
会うと元気が出る人

こうして書いてる時にも、1人1人の顔が浮かんできます。

ありがとう。

強さをくれて  優しさをくれて
共に笑ってくれて  共に泣いてくれて
自分を出させてくれて  あなたを見せてくれて
話を聞いてくれて  話をしてくれて
ぶつかってきてくれて  受け止めてくれて
安心感をくれて あたたかさをくれて

ありがとう。

決めるのは自分だし、変わったのは自分。
でも、この奇跡としか言い様のない人たちとの出会いと
ここで本気で笑ったり、泣いたり、怒ったり、ぶつかったり、考えたりした経験があったから
今の自分があるんだと、心から思えるよ。

ありがとう!

このありがとうを伝えるために、
これからもずっとみんなのことを裏切るようなことはしない
また会った時笑顔で話せるような自分で在りつづけたいと、そう思います。



そして、おこがましいかもしれないけど
これからいろんなことを頑張る後輩たちへ、この4年間で感じたことをみっつだけ。



ひとつめ。
自分に自信がなくなったら
自分のまわりを見てみてください。

まわりにステキだなと思える人が集まっているのは
あなたがステキな証拠です。
自分のことを好きと思えなくても
自分のことを好きと言ってくれるその人の言葉を、信じてください。

今はわからなくても、その困難は今自分に必要なものです。絶対に。

ふたつめ。
子どもと向き合って、
仲間と向き合って、
自分と向き合ってみてください。

イベントをまわすのもとっても大切なことなんだけど、
もっともっと、大切なことに気付けるかもしれないよ。


そしてみっつめ。
妥協しないでください。
妥協するなっていうのは
何もBHにすべてささげろというわけではなく、
今、自分にできることを、考え続けてそれを行動してみてねってこと。

私はいつも、その時自分が納得できるまでやることはやってきました。
小心者な性格がそうさせたのかもしれないけど、
そうしてよかったって今心から思えます。

そこでちょっとがんばってみたら、きっともっと楽しくなるよ。

「今、ベストを尽くしているか」
自分に聞ける自分でいてください。



うん、これはきっと、自分にも向けている言葉。


いろんな出会いを、経験を、自分のものにして
さらにキラキラしたみんなになってください。

私もみんなに負けないように、自分の場所でがんばろうと思います。


そう思わせてくれる
分かちあえて支えあえた仲間に
大好きなかわいいかっこいい後輩に

もう一度、心からの、ありがとう!


では、行ってきます。



2008.2.18 児玉 麻美



小森 あゆみ


1回生 

4月サタプロ BBQ リーダー いろいろあって、呆れた!
5月サタプロ 宝探し スタッフ なぜかまた行った。さらに呆れた!!
7月サタプロ 夏祭り 任されたので、初めて楽しいと思った
はばたけ!千刈夏キャンプ スタッフ BHをたくさんやるきっかけ
9月サタプロ サタリンピック リーダー
はじめてのキャンプ〜いもっこ〜 企画長 総責をやるきっかけ
11月サタプロ 秋山探検 リーダー
10周年記念パーティー 今思えばなんで行ったんだろう
12月サタプロ クリスマス コアトップ 依ちゃんが1番大変だったって言ってた
1月サタプロ 正月遊び スタッフ 企画が面白かった
2月サタプロ 世界の遊び スタッフ
3月サタプロ フェスティバル スタッフ
春だ!山東ピカピカキャンプ 総責 初めての、実行総責任

2回生 

5月サタプロ市内 BBQ スタッフ 初めての後輩とたくさん関わった
5月サタプロ市外 BBQ スタッフ
中学生台湾スタディーツアー(潰) 総責 楽しかった
カルチャーHi!スクール リーダー
フレッシャーズキャンプ Fチーム 岩佐さん「お前達は俺の支配下にある」
7月サタプロ市内 水遊び スタッフ
ひまわりキャンプ2005 副責兼会計 初副責。BH人生を変えたキャンプ
自然体験キャンプ ツリーハウス スタッフ キャンプの女の子全員で一緒に寝た♪
はじめてのキャンプ〜水とトモダチ〜 スタッフ 当日スタッフと思えない絡みを見せた
おひさまーキャンプ 母子島 救護 1番楽しかったキャンプかな。4役制覇
9月サタプロ市内 宇宙の旅 スタッフ
7月サタプロ市外(延期) 水遊び スタッフ
神戸よさこいまつり2005 スタッフ
はじめてのキャンプ〜みんなの秋〜(潰) 副責 みんなで朝までやけ酒、そして研修
10月サタプロ市内 やきいも スタッフ 子どもがやなのリーダー上手って褒めてた
10月サタプロ市外 やきいも スタッフ
キッズランド
レクリエーション研修 総責 研修って難しいなぁ
12月サタプロ市内 クリスマス スタッフ
12月サタプロ市外 クリスマス リーダー
執行役員(PM)
1月サタプロ市内 昔話の世界 スタッフ
1月サタプロ市外 昔話の世界 リーダー
2月サタプロ市外 フレンドパーク スタッフ 備品がすごかった
春来るミラクルスケート2006 リーダー 「またあゆみリーダーの班になりたいな」
サタデープロジェクト2005写真会 スタッフ
はじめてのキャンプ〜伝説の魔法使い〜 副責


3回生 

5月サタプロ市内 BBQ スタッフ
カルチャーHi!スクール リーダー カルハイのリーダー程難しいものはない
プレ・サタデープロジェクト スタッフ
土曜体験 大阪市立科学館 スタッフ 丁寧でした
アドベンチャーキャンプ カヌー スタッフ ゆったりキャンプ
フレッシャーズキャンプ Cチーム長
6月サタプロ市内 スポーツ大会 コア 大変だったけど、楽しかった!
6月サタプロ市外 スポーツ大会 コア
納涼そうめん流し スタッフ 竹林安全管理
7月サタプロ市内 水遊び スタッフ
7月サタプロ市外 水遊び リーダー
千刈夏キャンプ〜森の秘密基地〜 派遣補 何ができたかなぁ
ひまわりキャンプ2006 総責 やりたいキャンプをそのままできた
土曜体験 明石市防災センター 救護 1人も救護に来なかった
9月サタプロ市内 夏祭り スタッフ 占い師
10月サタプロ市内 やきいも スタッフ
10月サタプロ市外 やきいも スタッフ
キッズランド 着ぐるみ!
11月サタプロ市内 小さい秋 スタッフ
11月サタプロ市外 小さい秋 リーダー
日曜体験 カワサキワールド 派遣 初の派遣!前日は眠れなかった
12月サタプロ市外 サンタ スタッフ
わくわくスキーツアー 派遣 遭難しかけた
日曜体験 下水道科学館 派遣 デイなのに、しおりがぼろぼろ
2月サタプロ市内 鬼退治 スタッフ
子ども防災キャンプ 派遣 新規イベント。チェックが難しかった
被災児童支援研修 研修って、楽しいのね
2月サタプロ市外 鬼退治 リーダー
日曜体験 コンペイトウミュージアム 派遣 梅田を突破しました
3月サタプロ市内 オールスター リーダー リーダーがほんとに楽しかった
すいすい愛すスケート スタッフ びくびく場所とり
3月サタプロ市外 オールスター リーダー まるちゃんとリーダー!
はじめてのキャンプ〜みんなの自然図鑑〜 リーダー キャンプ初リーダー!!楽しすぎた!!


4回生

5月サタプロ市内 BBQ 派遣 この時就職決まってませんでした
5月サタプロ市外 BBQ コア代理 おべちゃんの代わり
プレ・サタデープロジェクト リーダー
フレッシャーズキャンプ Dチーム長 バスレクのお姉さんと審査員もした
6月サタプロ市外(延期) スポーツ大会 派遣 涙の延期でした
7月サタプロ市内 びしょぬレンジャー リーダー 隣のリーダーのやなと励まし合ってた
6月サタプロ市内(延期) スポーツ大会 派遣
7月サタプロ市外 びしょぬレンジャー 派遣
4地区合同キャンプ リーダー ゆったりまったり
はじめてのキャンプ〜はじめの第一歩〜 リーダー 絶対最後にやりたかった企画班
千刈夏キャンプ〜めざせ!!森の大富豪〜 派遣 大規模を1人で派遣した
ひまわりキャンプ2007 総責
日曜体験 明石市防災センター リーダー 納得できるリーダーができた
9月サタプロ市内 サマーフェスタ スタッフ 2年連続占い師
9月サタプロ市外 サマーフェスタ スタッフ 覚えている子多くてびっくりした
日曜体験 須磨海浜水族園 スタッフ イルカショーで泣いた
10月サタプロ市内 ハロウィン 派遣 コアの世界が広がってた
10月サタプロ市外 ハロウィン リーダー
11月サタプロ市内 クエスト 派遣 久々の甲山
スペシャルキャンプ〜コダーンからのSOS 派遣 最後の千刈
11月サタプロ市外 クエスト スタッフ
12月サタプロ市内 クリスマス 派遣 サタプロ1週目はほぼ派遣するように・・・
12月サタプロ市外 クリスマス リーダー
あなたと描く銀世界 スキー 派遣 いろいろあった…
2月サタプロ市内 童話の世界 派遣補 大雪サタプロ
くるくるスケート市内 スタッフ
くるくるスケート市外 リーダー
3月サタプロ市内 リーダー
3月サタプロ市外 派遣 もぎとった派遣の座



毎回学びがあるからたくさん行きました。

お腹いっぱいです。
ごちそうさまでした。



卒業日記

近堂 香奈


只今、2008年2月14日。私は今日、卒業旅行の沖縄から帰ってきました。一緒に旅した彼女たちと出会ったのは、3年前の大規模キャンプ「千刈地球博」。毎日事務所に通っては備品を作っていたあの日々はつい昨日のように思えるのに、こうして卒業旅行から帰ってきて卒業文集を書いていることに、時のたつ早さを身にしみて感じます。

思えば、やりたいことも夢中になれることも全く見つからなくてただ焦っていた私の大学生活を、大きく変えてくれたのはBHでした。

皆と作業するのがとにかく楽しかった、私の土台「千刈地球博」。初めて本気で子ども達や自分達のことを考えた「ポレポレ広場」。友達の頑張る姿に刺激された「アドベンチャーキャンプ」。この夏に挑戦しようと決めた「ゼロからのキャンプ」。MTも無駄話もとにかく楽しかった「ポレポレキャンプ」。しんどいながらも考えるきっかけとなった「新人研修」。そしてずっと関わってきた不登校関連事業部。振り返ってみると、私の大学生活はほぼBHを中心にまわってました。

正直、楽しいことだけじゃなかった。これでいいのかと思うときは数え切れないくらいあったし、びっくりするくらい事務所に行きたくないときもあったし、泣きながら西北の駅を徘徊したこともありました。だけど今は、そういう「楽しいことだけじゃない」経験があったからこそ今の自分があるのだと思います。そしてやっぱり、その100倍くらい楽しくて嬉しい時間がそこにあったからこそ、持続力のない私がこうして3年間ずっと続けてこれたのだと思います。

そして今思うこと。
それは、「バランスのいい人になりたい」ということ。

何かにかたよってしまうって、迷わなくていいし考えなくていいから実はらくちん。だけど、「これが絶対正しい」ものなんてきっとない。そんなことを、この3年間をかけて感じてきました。「紙はどんなに薄く切っても表と裏がある」という言葉の意味が、ちょっとだけ分かった3年間でした。そして、ついついしんどさに負けて何かにかたよってしまいがちな自分を痛感した3年間でした。だから、矛盾するものを両方ちゃんと自分の中に持っていられるような、バランスのいい人になりたいな。「信じられない」じゃなくて、そこにあるものをちゃんと見れる人に。現実的だけど、たまには熱く語っちゃったりできる人に。これが、とりあえず25歳までの今の私の目標です。簡単じゃないだろうから、長期ビジョンで頑張ります。
そして、BHを振り返るうえで何よりも欠かせないのは、人との出会い。
なんだかんだと考えることも学んだこともあったけど、これ以上にBHから得たものは何もありません。活動がしんどかった時、友達が言ってくれた言葉があります。「どんなにマイナスなことがあっても、うちらが会えたってことだけで、BHは圧倒的にプラス」。

本当にその通りだと思うんです。
たくさんの人に出会わせてくれたのは間違いなくBHで、振り返ってみると、BHでの出会いがあったからこそ今の自分があるのだと実感します。みんなとしょっちゅう会っている毎日がもう少しなのだということが、やっぱりまだいまいちピンとこないけど、みんなと会えたことが何よりも私のラッキーでした。

これから活動を続けていくみんな。きっと、しんどいことも嫌になることもあると思います。だけど、そんなときこそ支えてくれる人の温かさが分かると思うんです。そんな仲間との今の時間を大切にしてほしい。そしてそんな出会いをいっぱい作ってほしい。卒業する立場になって改めて、強くそう思います。


最後に。何も言わずに私を神戸に出してくれて、いつも岡山から私を見守ってくれていた家族に感謝の気持ちをこめながら、あの有名な歌の1節を借りてこの文章を終わりたいと思います。



縦の糸はあなた。横の糸は私。
逢うべき糸に出逢えることを、人は仕合せと呼びます。  (中島みゆき『糸』)



たくさんの仕合せに囲まれて、私の大学生活は最高に幸せでした。ありがとう。



未来が過去になる瞬間

齋藤 幸恵


子どもは嫌いでないが、そう好きでない。アウトドアもあまり好きでない。そんな私が何故、大学生活のほとんどをBHで過ごしたのだろう。ここで多くを得た感覚はあるが、はっきりしない。「社会に出てからBHの意義が分かる」などとよく聞くから、この気持ちが形を成すのはもっと先の話なのかもしれない。分かっているのは、この4年間が私にとって必要なものだったということだけ。
たくさんの人と出会って、少し大らかになった。仕事を任されて、少し自信を持てた。周りの人を気にかけるようになり、完璧主義の性格も少しはマシになったと思う。BHと出会って、少しだけ生きやすくなった。社会に出る為に、独りで進んでいけるようになる為には、面倒や苦痛も多々あった4年間が私には必要だったのだ。そして、ふと思った。他の人だってこの場所が必要で集まって来るのではないかと。
言葉にすれば、それは「子どもが好きだから」とか、「仲間がいるから」という形になるかもしれない。でも、掘り下げていくともっと曖昧な感覚があって、何となくBHを必要としているのではないか。少なくとも、何か空白を満たすような感覚、今以上に満たされた感情を期待している筈だ。そう思うようになってから、意識が変わった。私の必要が満たされたように、他の人の必要も満たされて欲しい。出来ることには手を差し出そう。派遣をする時も、常務会に出る時も、その人の思いを見て見ぬ振りはしないように。
実際に貢献出来たかどうかは分からない。確実に満たされたと分かるのはいつも自己満足だけだ。でも、この思いがあるから辞めなかったのかもしれない。BHに来る人を満足させたかった。顧客もボランティアも、何かが足りないと思うからここに来る。関わったその一瞬だけでBHを忘れても、その後わずかに生きやすくなってくれたらいい。そんな独りよがりの理想の為に、4年間を過ごしてきたような気がする。
私たちは未来から過去になる瞬間を疾走している。偉大な過去を振り切り、未来を確かなものにしたくて。本当の自分はこんなじゃないと思いながら。こんな事の為に活動しているわけじゃないと焦りながら。それでもその中で見つけた小さな喜びが忘れられなくて走り続けていたのだろう。無我夢中で走っていられたのは、BHを支えてくれる職員の方や他のボランティアのおかげだ。感謝が行動で返しきれないほどに恵まれていた。5年後、10年後、この組織に存在していて欲しい。素直にそう思える。理不尽な事や嫌な事も多いけど、やっぱりBHが好きだったから。

BHの過去は重い。
それを築いた人には勝てない気がする。
だけど私は共に走ってきた仲間達を最も尊敬しているし、
それを過去にしていく後輩達を信じている。

未来への願いは淡い。
ビビッドな現実を前にしては叶わない気がする。
だけど誰もがBHを通じて何かを願っているだろうし、
願っている限り、BHが生み出すものはいつだって未来に繋がると信じている。

BHを知った子ども達は変わるかもしれない。
もしかしたら、社会も変わるだろうか。
少なくとも、ボランティアは変わる。
未来が過去になる瞬間に。
そう、信じている。



よりみち

平 飛鳥


「人生は、よりみちだ。よりみちとは、違うところに少し足を運んでみること。その道は、どんなところか分らない。凸凹しているかもしれない。キラキラしているかもしれない。何が、起こるかわからない。1度だけの人生!!よりみちした方が、たくさんの何かを手に入れることができる。よりみちすれば、した分だけの宝物が手に入れることができる。よりみちは、いいこと。」こんな感じの話を本で読んだことがある。
大学に入って、この4年間。遊びながら勉強しつつ卒業…それでも良かった。バイトしなくても、ボランティアしなくても、別によかった。。。のかもしれない。
けど、私は、少しよりみちした。
その一つが、BH。このよりみちは、ほんと大きなよりみちだった。
パソコンの使い方覚えるきっかけになったのもここ。
「チェック」って、こうゆうことをいうんだ…って知ったのもここ。
何かをしようとすることがこんなにも大変だと知ったのもここ。
人の命を預かる責任の重さを教えてくれたのもここ。
人間は少しの睡眠でも動くことができると教えてくれたのもここだっけかなぁ…
仲間とひとつのことをすることの大変さ、素晴らしさを教えてくれたのもここ。
そう、ここでは大きなよりみちなだけあってたくさんの宝物を手に入れることができた。
それは、決してすべてが形として目に見えるものではない。
目に見えない、形としては表わせないものの方が多いだろうなって思う。
泣くことも、イライラすることも、やめようと思うことも…当然あった。
けど、それを超えるくらいに嬉しいことも心から笑えることもあった。
超えた嬉しさや楽しさは、これからも、ずっとあり続けることでしょー。
そう思うくらいに、ステキな人に出会えたから♪
だから、今は「ありがとう」を伝えたい。

ありがとう。

よりみちは、ステキなこと。
そう教えてくれたのもここだなぁ!!!



活動を終えて思うこと

竹田 有希


 私がブレーンヒューマニティーに初めて関わったのは私が大学2年の春のことでした。友達に誘われ参加し、そこで出会った人たちから多くの刺激を受けたことを今でも覚えています。それから早2年が経とうとしていて、この春に大学を卒業するのと同時に、ブレーンヒューマニティーも卒業することになります。2年間のここでの活動は、大学生活において多くのことを学ぶことのできた、私にとって大切な時間です。時には仲間とぶつかったり、うまくいかないことがあったり、納得のいかないことがありました。大変なことやつらいなと感じることがたくさんあったにも関わらず、それでもここでの活動を続けたのはそれだけこの団体に魅力を感じ、たくさんの刺激と成長を私に与えてくれる場所だったからだと思います。

 2年間を振り返ってみて、ここで活動している間は「ボランティア」をしているというよりも、自分自身がここで出会った人やこの団体にずっと成長させてもらっているような感覚がありました。その中で、私の心に残っているのは、楽しかったことや嬉しかったこと、達成感はもちろんですが、悔しかったことやつらかったこと、大変だったことの方が大きいことに今気付きます。それらの経験こそが私にいろんなことを教えてくれ、私を成長させてくれました。

 活動していると、うまくいかないことや大変なことの方が多いと思いますが、今後活動される学生さんには、どんどん壁や困難にぶつかってほしいと思います。そしてその壁を自分の力で、もし自分の力だけでは乗り越えられないと判断したらまわりの仲間の力を借りて乗り越えてほしいと思います。そうした経験は、後々自分自身の力となって卒業して社会に出てから大切になってくると思うからです。私自身、そうした経験をさせてもらい、その時はしんどいけれども、後々自分の力になっていることを今やっと実感しています。
 
この場をお借りして、2年の間に携わった人に感謝します。
ありがとうございました。

「人生の夏休み」

鶴巻 耕介


なんかこの4年間、
よく考えたらBHのことをほめたことがなかった気がします。

関わりだした当初からMTの多さや規程(主に食べ物系)に
文句ばっか言ってた気がします。
年が経つに連れ文句の行き所はいろんなところに飛び火したけど、
4年間ずっとなんかしらに対してぐちぐち言っていた気がします。

まーなんて心の小さい男。

だから今くらいは、
BHをほめてみようと思うのです。

僕は4年間で一体何が変わったのだろう。
今の僕と、
テニスサークルで4年間汗を流したバージョンの僕と、
軽音サークルで4年間ドラムを刻み続けたバージョンの僕と、
東京で実家から4年間大学生活を送ったバージョンの僕とが、
もしこの場で一同に出会えたとしたら、
僕は今の俺を誇れるのでしょうか。

僕は誇れると信じている。
この大学生活。
BHとの出会い。
人との出会い。
後悔するところなんてどこにもない。
いや少しはあるかもしれない。言い過ぎた。

「視野を広く持て。」
「BHがすべてじゃない。」
そういう言葉をよく耳にする。

もちろんそういう意見も分かる。
だけど、BHを消化できない人間が、
他のフィールドに移って何かできるというのでしょうか?

僕はBHという「軸」を持てたことを本当に幸せに思います。
僕はいつも全体をなんとなく見てきた男だから、
ワードもエクセルも大して使えないし、
ビラだって作れません。
最後の最後まで規約を守れなかった。
僕の名前を知っている子どもなんて数えるくらいしかいないでしょう。

だけどBHにずっと関わるメリットってそういうことではなくて、
「軸」ができることなんじゃないかって最近思うのです。

1つの「軸」があるだけで、
いろんなことが比較できるようになる。

あっ。
これはこの団体の方がいい方法でやってるな。
あっ。
このMTの仕方へたくそだな。
あっ。
この不透明さ気持ち悪いな。

とか、いろんな場面で「あっ」が出てきて、
自分なりの考えが作れる力を与えてくれたのは、
間違いなくBHのおかげだと思います。
そしてこの「軸」は、僕の人生で限りなく大切な指針となるのでしょう。

とても、とても感謝しています。
いろんな人、瞬間にどうもありがとう。

そして、この戻らない4年間をBHと駆け抜けたことを感謝します。

希望も、
絶望も、
全部ひっくるめて魔法のように輝いていた、
僕の人生の夏休みでした。



「ヒーロー☆」

寺口 純


 はじめまして☆の人もいると思いマス。わたしはちょっと数ヶ月ブレヒューには行ってなくて、でもこないだ行ったらナゼか事務所がざわついて、能島さんにめっちゃ怒られ、さらに事務所に行きづらい今日この頃です。。。

 そんなわたしは1回生のフレキャンから参加して、何かそのまま3年間は何だかんだでブレヒューにずっといたなぁって思うような。だけど最後の1年になるはずのときにわたしはここにいなくて、でも離れていても想い合えた数ヶ月もやっぱりブレヒューを感じてたなって思います。旅立つ前にたくさんの励ましと勇気をもらって、帰ってきてからも当たり前に会えるみんなとの関係がすっごくうれしくて。

 わたしがブレヒューに関わり続けたのはそこに最高に大スキでステキすぎる仲間がいたからだなって思います。
先輩も後輩も同回の子もみんなわたしはスゴイと思う。みんなのこと尊敬してる。ひとりひとり違って、でもみんなお互いを想う優しさと前を向く強さを持ってる。

そしてわたしがブレヒューを離れられなかったのは愛する子どもたちがそこにいたから。
あんな風にあの子は笑うんだなぁとか。
実はメッチャ優しい子なんだぁ。。。とか。
普段ワガママで大変だけど、かわいいとこあるなぁって。
そのたびに、やってよかったぁって思う。たった1日でも、1週間でも子どもたちのいいとこいっぱい見つけてそれを伝えたいなって思ってた。
それとわたしは子どもたちと関わる中でひとつ大事にしてたこと。「ありがとう。」って伝える大切さを子どもたちに少しでもいいから伝えたくて。「ありがとう。」って漢字で書いたら“有ることが難しい”って書くってわたし大学生になるまで知らなくて。。。でも知ったときにあぁそうだなぁって思った。周りのどんなことも当たり前のことなんてなくて、感謝することってそれ自体が奇跡的なことなんだなぁって。だから子どもたちには「ありがとう。」っていうキモチを大事にしてほしいと思ってて。それを伝えられたかはわからないし、わたしは子どもたちの笑顔に支えられて、子どもたちに感動をもらってばかりだったな。
 わたしが出会ったとき1年生だった子がもうすぐ5年生。
 わたしが出会ったとき小学生だったのにもう中学2年生になる。
 みんなどんどん成長していくね。ブレヒューに関わってあの子たちの成長を見れて、何かお母さんみたいなキモチになる。会いたいなぁ。
 わたしはまだ卒業しません。でもブレヒューではひとつの区切りなんだろうなって思います。
たくさん笑ったし、思いっきり泣いた。
本気でぶつかったし、本気で支え合った。
だからわたしはここにいたんだろうな。

じぶんを成長させてくれる場所。
そこにはがんばれって背中を押してくれる仲間がいる。
ひとりひとりがみんな違う。たまに泣いたりもするけど。
でもみんなゆめを持つ、
子どもを愛するヒーロー。

ブレヒューで出会ったみんなはわたしのヒーローです。
みんな誰にもない輝く一番星を胸に秘めてる。
そんなみんなに出会えたわたしは正直いってしあわせです。

出会ってくれて
ありがとう。



『BHのみんなへ』

中芝 浩行


こんにちは、中芝です。もはや、知ってる人の方が少ないのかもしれませんが・・・
俺も、後輩の顔と名前が一致する人が少ないし。ごめんなさい。
2年生から国際一色で、レクのキャンプはおろかサタプロにすら行っていないから仕方ないけど。。
カンボジアから帰ってきて、文集の存在に気付き、そして締切過ぎてこの文集を書いています。
あすこ、ごめんなさい。

この文集でどんなことを書くべきなのか、いまいち分かりません。だけど、約4年間、BHで活動してきて俺が思っていることを少しだけ書きます。暇だったら読んでやってください。

大学に入って6月、半分騙されながらBHの事務所にやってきて、
当時の3回生の先輩のアイスに安くつられて、キャンプをやって、
学祭の日の夜中に、アイスをおごってくれた先輩のお誘いで役員をやるって決めて、
レクのキャンプの会計をやった本部が潰れて、その勢いでマレーシアの総責をやってから、
財務理事したり、ワークキャンプの派遣になったり、O君が失踪して国際の代表になったりした。

はっきり言って、BHでの活動は楽しいって瞬間より辛い瞬間の方が多かったし、鮮明に覚えてる。
やりたいことを諦めて、BHを選択したこともあったし、バイト先に嘘ついて休んで事務所に行ったりしたこともあったし、逃げ出してこっそり一人旅に行ったりもしてた。

でも、BHでの4年間にひとつも後悔はしてない。でも、BHでの4年間に満足もしてない。
もっと、時間があったらなーって最近しみじみ思う。カンボジアに行ってさらにしみじみそう思った。

たらればを言い出したらきりがないけど、「あの時こうしとけばよかった」ってのは、一杯ある。
だけど、辛いときとかしんどいときがあったからこそ、成長したと思ったし喜びも感じれたと思う。
その時、その時には本当にもう嫌だって思ってたけど、逃げ出さなくてよかった。

本当に周りの環境には感謝してます。多くの人に迷惑ばっかりかけて、全く力にならなかったやつですが・・・BHで出会ったすべての人に支えられながらここまで来れました。
特に、大楽さん・なみこさんを初めとした先輩たち、ひよっこ過ぎて迷惑ばかりかけた辰巳さん・能島さん・ぐっちさん、一緒に最初の国際始めたこっこ・奥野・あすこ・まり、頼りない先輩で逆に心配かけてしまったまいまい・のーす・みやび・あかね・山内、他にも最近で言うと、財務一緒にやったざっきー、なぜか仲良くなった安武、大マレ一緒にやった詫間・しんご・けんしん・ちぴろん、カンボジアに言ったゆうた・いとしんなどなど、今までBHで関わったすべての人に感謝しています。
本当にありがとうございました。これから舞台はそれぞれ違うけど、頑張ろう。


平田 宗一郎


ありがとうございました。

たくさんの人と出会いました。

ありがとうございました。

たくさんの笑顔に会いました。

ありがとうございました。

たくさんの真剣な顔に会いました。

ありがとうございました。

色々な価値観に触れました。

ありがとうございました。

自分と真剣に向き合う機会をくれました。

ありがとうございました。

私達に考え活動する場を提供してくださったこの団体に、そしてそこで出会い、真剣にぶつかり考えあった仲間に感謝しています。

ありがとうございました。



福田 恭子


 大学1回の5月、キリ教の授業でBHと出会ってから、もう4年が経とうとしていることが信じられません。たくさんの人に出会い、今まで知らなかった自分自身にも出会い、本当にたくさんの経験をした4年間でした。
 
 中でも、一番大きな経験だったと言えるのが、ワークキャンプの実行総責任です。“自分は絶対にしないだろう”と思っていた総責という役職。このチャレンジに踏み出そうと、私を決意させたのは、2回のときにスタッフとして参加したワークキャンプでの出会いでした。

 半年も経たないうちに大きく成長し、たくさんの表情を見せてくれた14人の高校生。スタッフ、参加者、イベント全体の動きを確実に見守り、たくさんのアドバイスをくれた辰巳さん。素敵な人たちとの出会いがあって、自分の中で温めていた想いを実行へと移すことが出来たのです。

 実際にイベントが始まった当初は、上手くいかないことがほとんどでした。高校への広報、資料のチェック、プレス回り、、、すべてが予定より遅れていて、改善しようとしても何も変わらなくて、精神的にも身体的にもいっぱいいっぱいでした。

 ある日、ゼミの担当教授に研究室に呼ばれました。今にも泣き出しそうな私に、先生が伝えてくれたことは、『プロジェクトは一人では絶対に成功しない。もっと仲間を信頼しなさい。』という言葉でした。その後、スタッフ間で開いたミーティングでは、『こっこが、これからしようとしていることが分からない。』というみんなの状態を知りました。自分がこれまで、仕事を一人で抱え込もうとしていたこと、今後の予定やタスクを仲間としっかりと共有していなかったことに気づかされました。

 それからのイベントの運営が、すべて円滑に進んだとは言えません。至らなかった点や、反省すべきことだらけだったと思います。けれど、“スタッフ一人一人を信頼すること、一つ一つの作業やミーティングを大切にすること”を心がけました。スタッフ全員で何度もミーティングを重ね、たくさんの時間を費やしたこともありました。その結果、決まったことがたった一つでも、チームとしての信頼関係を築くためには、決して無駄ではない時間だと感じていました。何時間もExcelと向き合って資料をつくっても、なかなかチェックが通らないこともありました。出来上がったのはA4一枚の資料でも、参加者や保護者からの信頼を得るイベントを造るためには、重要な作業だと考えていました。
 
具体的に、この経験から何を学んだのかと聞かれると、“まだはっきり分からない”というのが率直な答えです。けど、これから目標を達成していくうえで、自分の基盤のようなものを培ったように感じています。そしてその過程で、少しずつ“BHで学んだことって、これだったんだな”と気づいていくのだと思います。

 けれど確実なのは、BHで過ごした日々を、“良い思い出だった”という言葉では終わらせることは出来ません。何か、もっと大きなものを得たんだと実感しています。

「4年前の自分へのメッセージ」

松村 保孝


 自分の短所に気付きなさい。
 自分の長所を活かしなさい。
 人の話を聞きなさい。
 人の意見を受け入れなさい。
 相手の気持ちを考えなさい。
 参加者の立場から考えなさい。
 仲間の立場から考えなさい。
 文句を言う前に考えなさい。
 文句を言う前に行動しなさい。
 最初から諦めてはいけません。
 何事もしっかり確認しなさい。
 計画性を持ちなさい。
 先見的に取り組みなさい。
 振り返ることをしなさい。
 甘えた気持ちは捨てなさい。
 責任を持ちなさい。
 覚悟を決めなさい。
 …

4年前の自分にこのことを伝えられたら、

どれだけ後悔のないBHでの時間を過ごすことができただろうか。
どれだけ良いイベントを作ることができただろうか。
どれだけ満足できただろうか。

BHでの活動は、今振り返ると後悔することが多いけれど、それがあったからこそ自分の弱みを知ることができた。
BHでの活動は、決して良いことばかりではなかったけれど、多くの出会い、価値観、学びを与えてくれた。
BHでの活動は、今の私を作ってくれた。
BHでの活動は、これからの私にとって欠かせないモノだろう。

ありがとう、ブレーンヒューマニティー。



藤井 美緒


いつのまにか行けるようになった
西北までのみち。
千刈までのみち。
甲山までのみち。

降りたときにエスカレーターのある車両も。
西北のいろんなおみせも。
西北のえきから事務所までのみちも。

事務所も。

ぜんぶぜんぶ思い出になると思うと、
淡くなっちゃうんじゃないかと思うと、
やっぱりちょっと、いやかなり、せつない。

なんてことのない、ひとつひとつに
たくさんたくさん、想いがぎゅーっとつまってるんだ。

たいせつなひとたちと
笑ったり、泣いたり、喜んだり、悩んだり、
いろんな想いを共有してきたんだもの。

決意したことも、もうだめだと思ったことも、
すれ違ってしまったことも、仲直りしたことも、
わいわいがやがやしたことも、じっくり話し合ったことも、
いろんなことがあったんだもの。

どんな意味があったかなんて、さっぱりまだまだわからないけど。
もしかしたらいつまでたってもわからないかもしれないけれど。

だけどこれだけ言えるのは
やっぱりぜんぶまとめてすてきな4年間だったということ。

そしてどうしても伝えたいと思うのは
みんなみんなみんなみーんなに
こころからのありがとう。っていうおおきなきもち。

さいごにこのおはなしだけ。

はらぺこあおむしのおはなし。

わたしがあおむしくんをすきな理由。

はらぺこなあおむしくんは
まいにちまいにちいろんなおいしいものを食べます。


土曜日には食べすぎちゃって
おなかがいたくなってしまうこともあります。

さなぎになって
ちっともうごかない時期もあります。

そんでさいごにあおむしくんは
きれいなきれいなちょうちょになります。

ちょうちょの羽は、
あおむしくんが食べたものの色のぜんぶぜんぶでできています。

そうそう。

いろんなひとと出逢って、いろんなことがあって
たまに泣いたりすることも、たまに立ち止まったりすることもあります。

だけど
そんないろいろぜんぶ、無駄なことなんてないの。
そんないろいろぜんぶ、きれいな羽のもとになるの。

いつかみんなきれいなちょうちょになれますように。

あ。でもやっぱりさいごに言いたいのはこれかも。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。


大分県代表 三浦 章吾


 いや、本当にあっという間でしたね。僕もついに卒業。来るとは聞いていましたが、本当に来られるとちょっと困るものですね。どうも三浦章吾です。今回はBHの卒業文集ということでこれまでの経験や思い出を残すそうですね。正直ここでの思い出なんて上手にかけません、きっと。なんていうかもうすでに過去が美化されているからです。

 1回の秋、男子が不足しているキャンプにポンと参加したところから僕のBH生活が始まりました。正直、「なんてストイックな団体だ」とか思ったような気がします。そのあと数回サタプロに参加してそのままサタプロ総責になりました。今考えても無謀です。よく僕を選びましたね、僕もよくうけましたね。まぁそんなことができるのもBHらしいところですが。「サタデープロジェクト総責 三浦章吾」がBHのMLだとかに流れたとき、BHの9割は「誰だこいつ」と思ったそうです。そらそうですよ、総責三浦章吾ははじめコピーさえ使えなかったんですから。

 BHってのは深く入り込むとどこまでも深い。どこまでも時間を持ってかれる。そんなマイナスイメージを僕はいつも持っていました。それは言い換えればやりがいだったり、責任感だったり、使命感だったりするから決してマイナスではないんですが、僕はいつもフラットな目線でいたかったので理事とかそういうのは避けてきました。裏を返せばいつでも抜けれるようにって逃げ腰だっただけかもしれません。でも結局あのビルの3階には4回の夏になってもいたんですけどね。
 BHってずるいですよね。やってるときもうめちゃめちゃしんどかったり、花火大会やら学校の授業とか友達の遊びの約束だとか全然いけなくなったりする。でも、自分の携わったイベントで子どもが笑ってくれて、スタッフがいい顔して動いてて、池田銀行前で解散を見送ってピカロで打ち上げで、スライドなんて見てたらもう自分のうちっかわから色んな感情がぐるぐるっとでてきちゃうわけで。あぁもう俺、これやってきてよかったよ、みんなに会えてよかったよ、みんなとでこの感情を分け合えるなんてシアワセだよって思ってしんどかったことに上書き保存されちゃって。で、また懲りずにあの地獄のタイムテーブル作成に挑むのですからうまいことできてますわ。なんかBHを悪く言いましたが、ぶっちゃけそんな嫌いじゃないですよ、本当は。

 ここでは本当にたくさんの思いでをもらいました。そんでたくさんの人に出会いました。自分の新しい一面も垣間見たりしました。でも振り返ると本当にここに時間を投資してよかったと思えます。ヤル気とかアップダウンはありましたけど、やっぱりトータルで見たら楽しかったです。毎月のデイイベントも秘密基地作りも妖精のいたずらも他のイベントも。自分じゃできないこともみんなでやればできちゃうんですもの。
僕ね、本当何もできないんです。僕と一緒に本部をした人たちは痛いほど実感されておられると思います。でもそんな僕に付き合ってくれた本部のみんな、ありがとう。本当にありがとう。そして派遣さん、スタッフ、子ども達、周りのもの全てに感謝です。

 きっとこの先、過去を懐かしく思う日が度々やってくると思います。振り返ったときに、まわりにはみんながいなくてさみしく思う日はきっと来ます。でも、そんなさみしい思いができるくらいキラキラした素敵な思い出を持っている自分を僕は誇りに思います。そんなキラキラした時を一緒に作ってくれたみんなを僕は誇りに思います。「こんなことやって意味あるの?」なんて思った時期も、意味はあったんですね。

 BHの思い出話、うまいことまとめきれませんでしたわ。でもそのうまいことまとめられんのもある種、正直な表現だったりするのかも。あぁもっとしっかり組み立てて書けばよかったな(笑)

 でも要するに僕が本当に残しておきたいことはBHでたくさんのいい人に出会えて僕はシアワセだってことと、みんなと過ごした時間は宝物になったよ、ってことですわ。本当にみんな本当にありがとうね。本当にありがとう。僕はやっぱりシアワセ者です。



矢野 弘美


1年前の今頃
卒業生を送り出す準備をしていたのに
今はもう
送り出される立場になってしまいました。

日々があっという間にすぎてしまうようになっていました。

4年前
大学の入学式で山ほどもらったサークルの勧誘チラシの中に
BH(HEP研修)のビラがありました。

それがBHとの出会い。

その後4年間
うどん屋や家庭教師、介護ヘルパーのバイトを地味にこなしつつ
BHではHEPやレク、よさこいなど様々な活動をさせてもらいました。
大学生活、予定のない日がないくらい、いろんな事にチャレンジすることができました。

しかし、正直なところ、
途中で私は本当に何がしたいのか
分からなくなった時期もありました。

でもやっぱりBHが、BHの仲間が大好きで
ふらりと事務所によってしまう。
立派なBH中毒になってしまっていたのです。

私はとても環境に恵まれていたと今になって思います。
それは、BHに関わる人の支えによって成り立っていたのだろうと。

どのイベントも語り尽くせないほど色々思い出があって
その思い出をこの数ページに載せることは決してできません。
子どもや参加者への思いなんて書いたらきりがありません。

なので
活動の中で私がなるほどと思った事にリンクする言葉を紹介したいと思います。
サンテグジュペリの『星の王子さま』の中に
私の好きなキツネの言葉があります。
「きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ」
「飼い慣らしたもの(絆を作ったもの)には、いつだって、きみは責任がある。きみは、きみのバラに責任がある」

私にとってバラはBHでした。

関わった分だけ、大切で
大切な分だけ、責任がありました。

参加者のこと、スタッフのこと、本部のこと、事業部のこと、自分のこと
向き合うほど嫌になって
向き合う分ほど好きになりました。
大切になりました。

いつでも
今しかできないことをしていきたい。
と考えていました。

「何を大切にするか。」を忘れずにいたい。
と考えていました。

社会に出るとみんな先輩で
責任者になったり、後輩を育てるという経験は
社会では10年、20年かかってやっと経験することなのだそうです。
それをこの団体では4年間で経験できることにきづきました。

大変な事もあったけれど、私がBHで過ごした4年間は宝物です。

本当に自分に向き合った4年間でした。
その4年間を一緒に活動した仲間がいることを忘れません。

「本当にありがとう。」


『愛のパワー』

山本 真理子(まりお)


「愛」には不思議な力がある。
自分の持っている力の何倍もの力を与えてくれる。
愛することができたから、こんなに強くなれたんだと思う。

「子ども達を愛すること」
「サタプロを愛すること」
「デイを愛すること」
「仲間を愛すること」
「すべてを愛すること」

それは私に
信じる勇気
守る力
笑顔の種
想う気持ち
他にもいろんなものを与えてくれました。

「愛」は、私にたくさんの宝物をくれました。


★子ども達へ★
愛のパワーをもらっていた大きな大きな存在だった。子ども達は私のことなんてわすれちゃうかもしれないけど、私は一生忘れません。やんちゃなあの子も、愛くるしい目で話しかけてくるあの子も、甘えん坊のあの子も、いたずら好きのあの子も、引っ込み思案なあの子も、あの子も、あの子も、あの子も…みんな大好き。ありがとう。

★サタプロへ★
すべてのものを「だいすき」って思うようになったのは「サタプロ」があったからだと思う。この一年に感じたいろんな想い、喜怒哀楽が今の私を作っていると思う。「サタプロ」のみんな、ありがとう。


愛することってとっても難しい。
でも、難しい分、とっても暖かい気持ちになれるし、優しい気持ちになれる。

その「愛」は私に勇気をくれた。
事業部の代表になる勇気を。
私なんかが代表をすることができたのは、“デイ愛する仲間”の支えと今まで培ってきたイベントへの愛があったから。

★仲間たちへ★
先輩も、後輩も、同じ学年のみんなも、みんなみんな仲間だった。
大好きな仲間と、語り合い、笑いあい、ぶつかりあい、痛みや苦しみを共に分かち合い、一つの目標に向かって走り続けることができたことを、ほんとにほんとに誇りに思う。
大好きな仲間と一緒だから、笑顔でいれた。頑張れた。
出会えて本当によかった。
この偶然の奇跡に感謝してる。
本当にありがとう。

みんな、周りをみてごらん。
大好きな人たちばかりでしょう?
大好きな人、大切にしてください。

私も大好きな人、大切にします。

お別れはとってもつらいし寂しい。
だけど、一生のお別れじゃないから。

いっぱい「ありがとう」
でも、「ばいばい」じゃない。

また、会おうね☆



職員からのメッセージ


「卒業生に捧げることば」

理事長 能島裕介 


 そういえば僕が大学を卒業して今年で10年になる。思い起こせば、この10年は本当にあっという間だったといえるし、一つ一つの出来事を考えれば、とんでもなく長い道のりを歩いてきたようにも思える。ちょうど10年前の今頃、僕はぼんやりとした不安とそれなりの希望とささやかな野望を抱いていた。卒業旅行はトルコを起点にしてエジプト、イタリアを回った。エジプトではずっと行ってみたいと思っていたピラミッドの真横にケンタッキーフライドチキンがあってがっかりした。カイロに一つだけあったマクドナルドの前ではいまにも息絶えそうな赤ん坊を抱えた母親がうずくまっていて、その母親にハンバーガーを与えるエジプト人女性を見た。イタリアのボローニャではストリートチルドレンに囲まれ、スリにあった。トルコのカッパドキアでは地平まで広がる奇岩とこれまで見たこともないような青空を見上げて、何滴か涙を流した。そんな卒業旅行も終わり、就職は目前に迫っていた。
 僕の学生時代をふり返れば、1年生のはじめにBHの前身となる関学学習指導会を立ち上げたり、その終わりには震災があってキャンプを始めたりした。2年生からは司法試験予備校に通い、弁護士を志したり、3年生のときにはなぜか学生会文化総部の事務局長をやったりもした。当時、断筆宣言をしていた筒井康隆の講演会を企画したり、小池百合子を呼んだりもした。夏には小豆島でキャンプをしたり、秋にはクイズ大会に燃えた。当時は、ずっと自分は弁護士になるんだと強く思っていたのだが、4年生になり行きがかり上、就職活動をしたらいままで出会ったことのないような凄い先輩達に囲まれ、住友銀行に行くこととなった。他の学生に比べれば、かなり充実した日々を過ごしたはずなのだが、10年前の今頃は得も知れぬ喪失感に浸っていた。もう二度と戻ることのない学生生活と別れを告げることに寂しさを感じていたのかもしれない。
 それから10年は怒濤のように過ぎた。卒業前に感じていた寂しさも、いつの間にか忘れていた。学生時代に生きていた世界とは全く違う世界がそこには広がっていた。そしてこの10年、がむしゃらに働いてきた。毎日がエキサイティングで、毎日が新しいことの連続だった。みんながこれから旅立とうとしている社会は、いままでの世界よりも何倍も広く、様々なものが複雑に絡み合っている。そのなかをいろんな人に出会い、支えられ、時には戦いながら歩いてきた。困難な状況にぶち当たったときには誰かが助けてくれ、足りないものは誰かが補ってくれた。
 大学の卒業はこれまで十数年間続いてきた学生生活との別れでもある。その節目に立ち、過去をふり返れば懐かしい思い出がわき出てくる。そして、前をみれば未知の世界が広がっている。それは、寂しく、不安で、つらいことかもしれない。しかし、そこから一歩を踏み出すことによって、新しい景色は広がっていく。だからこそ、一歩を踏み出す勇気を持ってほしい。まだ道の見えない地平に向かって、自分自身の道をつくってほしい。不安を抱えるなといっても無理かも知れないが、少なくとも人生の一時期をこの過酷な組織のなかで過ごしたみんなにはその力があると信じている。
 最後に、僕が中学3年生のときに教えられた詩をみんなに捧げる。峠をはなれるまでのあと数日、ゆっくりとその日々を過ごしてほしい。


「峠」

真壁仁

峠は決定をしいるところだ。
峠には訣別のためのあかるい憂愁がながれている。
峠路をのぼりつめたものは
のしかかってくる天碧に身をさらし
やがてそれを背にする。
風景はそこで綴じあっているが
ひとつをうしなうことなしに
別個の風景にはいってゆけない。
大きな喪失にたえてのみ
あたらしい世界がひらける。
峠にたつとき
すぎ来しみちはなつかしく
ひらけくるみちはたのしい。
みちはこたえない。
みちはかぎりなくさそうばかりだ。
峠のうえの空はあこがれのようにあまい。
たとえ行手がきまっていても
ひとはそこで
ひとつの世界にわかれねばならぬ。
そのおもいをうずめるため
たびびとはゆっくり小便をしたり
摘みくさをしたり
たばこをくゆらしたりして
見えるかぎりの風景を眼におさめる。


詩集『日本の湿った風土について』


北村 頼生


多感なこの時期、皆さんは何を感じてこられたでしょう?

おそらく壇上に立っている皆さんは、BHやその他の大学生活で個々多くを経験し、
多くを感じ、今、晴れ晴れした顔を後輩に見せていることと思います。
ぜひ今のその表情を忘れないで下さい。
ぜひその純粋な思いや感性を大切にし、感じたその一つ一つを糧とし個々の道を歩んで下さい。

思いや感性は、進む毎に大きくなりますが、
止まると小さくなり、いつの間にかなくなってしまいます。
要は、今ある思いを行動に移すか否かが肝心です。
新生活が始まる4月からと言わず、そう、この後酔いつぶれて事務所で目覚めた明朝から今ある思いをさっそく膨らませ始めて下さい。

思い起こせば4年前、私も企業を退職し、このブレーンヒューマニティーの門をくぐりました。言わばBH歴4年で皆さんと同期です。
BHも、キャンプも、イベントも、企画書も初めての体験だった当時の皆さんの姿を振り替えると、この4年の大きさを切に感じます。
ぜひブレーンヒューマニティーの名の由来の如く、「理想」と「力」を持ち、社会という今までにない荒波に挑んで下さい。
BHという中波に挑み続けてきた皆さんには、もうその準備はできてあるはずです。

末筆ながらご卒業おめでとうございます。



春日 徹男


道は自分で開け。
自分が信じた道を進んでほしいと思う。
でも自分を追い詰めることなく。
道はたくさんあります。

高校生の時に北海道のサラブレッドを生産する牧場で働かせてもらった時に、お世話になった奥さんにいただいた励ましの言葉が私を支えてくれています。
小さな牧場ですが自然の生き物である馬を管理して、将来は自分の牧場からG1馬を出すために、馬の背中に大きな期待を乗せておられました。
馬が元気に育って競りで高く買われ、競馬で勝ってほしいの一心で、毎日糞尿の処理や餌やりばかりの日々でした。
牧場出身の馬が競馬に出走するときは、作業の手を止めみんなでラジオの実況中継に傾聴し一喜一憂していました。

ブレーンヒューマニティーのボランティア経験は、仕事に追われる日々だったかもしれません。だけどその頑張りが子どもたちを喜ばせる土台になっていたと思います。
卒業したからといって、ブレヒューで培った体験の事実はみなさんの心の底に蓄積されています。

これから新たな出発がはじまります。それはまったく新しい、あなただけのあなたのための明日への出発です。
さぁ、思いきって、新しい人生のスタートを切りましょう。

これからの人生はぐっと長いです。

日々新たに 
我が道をすすんでほしいと思います。
でも自分を追い詰めることなく。
道はたくさんあります。

ご卒業おめでとうございます。
そしてこれからのすばらしい縁起を期待しています。



卒業に寄せて

田中 章雅


数年前の卒業パーティーでのこと。
ある卒業生があの檀上で、
「もうあの子どもたちと会えなくなるのが一番寂しい」と
涙を流しながら語っていた。

あれからもう数年。
今、卒業生のみんなはどのような思いでその場に立っているのだろう。

もうすぐ、みんなは社会に出て行く。
その期待と不安は大変なものだろう。

今からまさにみんなが飛び出していく社会。
その社会は、現在「格差社会」という言葉で呼ばれる。
貧富、学歴、社会的ステータス。
様々なものに決定的な差が生まれ、
さらにそれが広がっていこうとする社会。

その社会はときに非常に厳しく、
ときに非情とも思えるような社会かもしれない。
正直者が馬鹿を見、強者こそが勝者となる。
そんな社会にみんなは出ていこうとしている。

みんなが出て行こうとする社会は、BHなんか比べものにならないほど酷い。

しかし、だからこそ私は願う。
みんなには、自分の正しいと信じる道を進んでほしい。
たとえ、その結果、馬鹿を見たとしても、
その結果、勝者に笑われたとしても、
この道を選んでよかったと思えるような
自分の信じる道をただまっすぐに進んで欲しい。

盛者必衰の理にあるように、必ず最後に笑えるのは
こつこつと正しい道を歩き続けた者なのだから。

小さいことを積み重ねるのが、
とんでもないところへ行く
ただひとつの道だと思っています。
(イチロー・シアトルマリナーズ)



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