卒業生の声
2006年度卒業生文集

過去のOB・OGのメッセージはこちらです。

もっともっと強くあれ
理事長 能島 裕介


 僕はこれまでスポーツをしたことがない。なので、正確なことはよく分からないのだが、運動をするためには、基礎体力が必要なのだろうと思う。どんなスポーツをするにしても、技術や美しさ、勝敗を求める前に、自分自身の身体に基礎的な力を根付かせる必要があるだろう。
 おそらく、みんながこの数年間、ブレヒューでやってきたことは、スポーツで言えば、基礎体力づくりだったのではないかと思う。みんなは夜を徹してタイムテーブルを考え、細かいフォント一つにまでこだわってチラシを作り、長時間の会議で葛藤を重ねてきた。その積み重ねのなかでみんなの中に培われた力は、決して派手な技術でも、特別な能力でもない。本当に地味で、基本的な能力だと思う。
 インド独立の父といわれるマハトマ・ガンジーは、非暴力闘争の説明の中でこう語る。「私たちが目指す非暴力とは、武力を持たないことではなく、武力を持ちながらもそれを行使しないことなのです。」基礎的な技術を持たないプレイヤーが語る戦略があまりに空疎であるように、基礎能力を持たない者が語る理想も同じく空疎だ。
 そもそもBrainHumanityという名前は、頭脳を意味するBrainと人間性を意味するHumanityとが一つに融合することを目指してつけられたものだ。単に理想を語るだけならそれは容易なことだが、それを現実のものとするためにはそれを裏付けるだけの能力が求められる。Brain(頭脳=能力)を伴わないHumanity(人間性=理想)は無力でしかない。
 しかし、この数年間の間に、みんなには確実にそれぞれの理想を実現するための基礎的な能力が養われたと信じている。これからは、その能力をさらに伸ばし、自らの理想を社会のなかで実現させていくことが求められている。
 みんながこれから歩みを始める社会は、これまでとは比較にならないくらい理不尽なものかもしれない。耐えられないような不正義や目をそらせたくなるような真実があるかもしれない。そんな中で愚直に生きるためには強くなければいけない。
 「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない。」これはレイモンド・チャンドラーの小説に登場する有名な台詞だが、優しいだけではなく、強さをも身につけなければこの社会を生き抜くことはできない。ブレヒューの卒業生の本当の価値は、その優しさではなく、その強さだと思う。この世の中に理想や夢を語る奴は多いが、それを実現できる奴は圧倒的に少ない。そんな社会でみんなはひときわ輝いている。そんなみんなと共に時間を過ごせたことを私は誇りに思っている。


事務局長 北村 頼生


多感なこの時期、皆さんは何を感じてこられたでしょう?

おそらく壇上に立っている皆さんは、BHやその他の大学生活で個々多くを経験し、
多くを感じ、今、晴れ晴れした顔を後輩に見せていることと思います。
ぜひ今のその表情を忘れないで下さい。

ぜひその純粋な思いや感性を大切にし、感じたその一つ一つを糧とし個々の道を歩んで下さい。

思いや感性は、進む毎に大きくなりますが、
止まると小さくなり、いつの間にかなくなってしまいます。
要は、今ある思いを行動に移すか否かが肝心です。
ただ皆に頑張って突き進んで欲しいのですが、頑張り過ぎないようにもう一つ記します。

「人生にも、リセットボタンがある。・・しかも、あなたの人生のリセットボタンは、
それまでの記録の保存機能がついています。いつからでもやり直しができるのです。」
中谷彰宏

能島氏から、8年前偶然貰った本にこんな言葉がありました。
この言葉との出会いが、私の心をふっと軽くしてくれた気がします。
ちなみに私は、一回このボタンを押しました。
歩む道に行き詰まった訳ではないですが、ぜひしたいゲームがあったのでリセットしました。

皆さんも、行き詰まったときや、よりやりたいものが見つかったとき
一つの選択肢として、このボタンも持つのはいかがでしょう。
時として、とても使えるやつです。

最後となりましたが、ご卒業おめでとうございます。そして本当にお疲れ様でした。


卒業によせて                      
事務次長 辰巳 真理子


ご卒業おめでとうございます。
私が4回生の年に入学し、一緒にイベントをつくってきたみんなが卒業を迎えることは、なんだかすごく感慨深いです。

大学生活とともにあったブレーンヒューマニティーの生活はどうでしたか?
時に笑い、時に泣き、時に怒り、怒られ、
作業に追われて終電を逃したり、何度も何度も書類を修正したり。
楽しかった!と言え終えられることばかりでは、なかったかもしれない。
ここで費やした時間を数えてみると、驚いて唖然としてしまう人もいるかもしれない。

みんながここにいた意味は、この4月から社会に出て、初めて知るように思います。
私自身も、また今までのOB・OGがそうだったように。
当時は憤りを感じたり、無意味だと思っていたりしたことが、種明かしされる感じ。
そして、そういう発見をしたら、ぜひ後輩たちに伝えてあげてください。
今の活動は、きっと力に繋がっているんだよ、と。

私が好きな聖書の一文に、次のような一節があります。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は大きく、その道は広い。
そして、そこから入って行く人が多い。
命に通じる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす人は少ない。」
(新約聖書マタイ7章13節)

学生時代、ブレーンヒューマニティーに所属したみんなは、
間違いなく、狭い門から入って、その道を延々と歩いてきたように思います。
もっと楽しいことを、自分のためだけの時間を使う選択肢はあったのに。
だからこそ、自信を持って胸はって、社会に出てください。
きっとだいじょうぶ。
すでにみんなは、社会に通用する強さと正しさを持っています。

今までありがとう。そして、またいつか事務所に訪ねに来てね。

「私の伝説・・・」
一瀬 那緒


私の伝説は、大学2回生の春から始まる・・・
たった一枚の高校時代の写真がその始まりだった。

ミニスカートでピースをし、カメラにがんをつける私。

この姿を見た○○まささんは、「○走族だ!」と叫ぶ・・・

「火のないところに、煙はたたない」
その言葉どおり?どんどんこの噂が広まっていく。

今では、ほとんどの人がこの事実?!を知っている。

・ 福井の総長である
・ 子分が3000人いる
・ 福井に帰郷すれば、その3000人が駅で待っている
(最近5000人に増えたらしい・・・)
・ 私の敵は、福井県警である
※これはすべて噂です。

私がいるだけで、
周りにいる人間は勝手に私の噂をどんどん膨らませていく。
※みんなの想像力には感動しますが。膨らませすぎ!!

新入生が増える度に広まっていく私の伝説。

複雑な気持ちもありながらも、なんだか楽しかった。

でも、もう卒業。

もうこのネタでいじられることもなくなるかと思うとなんか寂しい。
でもだからこそ、ここにこうして残しておきたいなって、なんとなく思った。


「私の伝説」みんなも作ってね(笑)
※ここからは真面目に・・・
私は、BHという場に、主にHEPという場に4年間ずっと関わってきた。
ずっとこうして続けた理由は、正直よくわからないけど、好きな場所だった。

居心地がいいってことだけじゃない。

こんなふうに自分をいろんな形で表現できる場所。

自分の成長のきっかけをくれた場所。

自分がこんなにも打ち込めた場所。

自分の思いをやっとぶつけられた場所。

すごい仲間がたくさんいる場所。

一生つきあいたいと思える仲間ができた場所。

自分にとってBHっていう存在がどんなものだったのか、
はっきりしたものはわからないけれど、
きっとこれからの自分の人生に何らかの影響を与えてくれるんだろうなって思う。

ここで活動してきた自分。
今ここにいる自分。

BHで活動してきたことに後悔はない。
でも、その瞬間、瞬間で後悔してきたことはある。
きっともっとがんばれたと思う。

でも、今本当に思うことは、
今の自分を大切にしようって。

ここで活動してきた自分。
今ここにいる自分。

全ては今までの自分があったからなんだなって。

From: 大西 洋平

件名: 2次的なボランティア

本文:
私にとってBHは、99%がHEPの活動であった。レクのキャンプやサタプロに参加しなかったのは、一つのことに集中するのが好きだからとか、二つ以上のことを同時にするのが苦手だからとか、めんどくさがりだからとか、HEPばっかりやってたらレクのイベントに行くタイミングを逃したからとか、色々理由はあるけど、知られざる理由がそこにはあったのだ!
ヒントは私の事務所での振る舞いにある。HEPしかやってない人間が、HEPを全くやったことの無い人間と喋って笑っている。なぜか。それは、みんなが好きだから。

今「きもっ」って思ったヤツ、ちょっと来い。

みんなって言ってもまぁご存知のとおり、本当の「全員」ではないんだけど(笑)、子どもたちのために頑張ってるボランティアってのは、見ていて美しい。話していて楽しいのだ。
でも最近、ちょっと残念に思うことがある。そう!事務所の汚さだ。レクで活動していない私だから、レクの人たちが子どもたちのために活動している、という部分がなかなか見えにくく、事務所が汚い=周りが見えていない=自分が楽しけりゃいいのか、という何とも短絡的な発想に陥ってしまう。だけど少なくとも、まわりのボランティアや職員さん、事務所のためを思った行動ではないと思う。そこらへんが少し残念でもある。

ってゆーか、書きたかったことはこういうことじゃなくて、BHのボランティアが「子どもの笑顔を見るのが好き」に対して、もちろん私もそういう思いはあるけれど、「子どもの笑顔が見たいと頑張っているボランティアの笑顔が好き」っていう思いも強かった、ということだ。皆さんも少なからずこの思いを持っているとは思うけど、私の場合は「子どものために」という思いよりも強かったかもしれない。それが、HEPの家庭教師を陰で支える不登校関連事業部の会計を長く務めることができた理由であり、HEPの中でも研修に多く携わった理由なのかもしれない。
子どもと関わる団体として、こんな人がいるは変なのかもしれないけど、こういう人も必要なんじゃないかなーって思う。そして最後に伝えたいのは、皆さんにも、他人を思いやる気持ちをもっと持ってほしいということ。「いやいや、すでに十分持ってるし(^_^;)」と思っている人。私の目から見れば、そういう人はまだまだ少ないし、その思いは十分じゃない気がする。これはレクを全くやらなかった私だからこそ気付いたことかもしれないが、BHのボランティアを見ていると、同じイベントをしている(したことのある)ボランティア同士の絆は強いけど、それ以外のボランティアや周囲の人々には素っ気なかったり、愛想が悪かったりする人が結構いるんじゃないかな。「他人」というのは仲間のボランティアだけではないんですよ。
話は少し戻ってしまうが、BHのボランティアのそういう部分が、事務所の汚さに出ているのではないかと思う。後から使う人のことや、同じ空間で活動する人、職員さん、掃除をする人のことを考えれば、事務所を使った後に何をすればいいか分かるはず。「散らかった紙クズを拾う」「備品を片付ける」「帰る前に掃除をする」という小さいけれど当たり前の行為の積み重ねが、事務所を綺麗に保ち、周囲の人たちを気持ち良くさせるのだ。「掃除をする人」と上に書いたけれど、掃除をするのが仕事の人は、BHにはいませんよ。ボランティア一人一人が、「掃除をする人」になってください。「事務所汚いなぁ」と言っているだけで行動しない人も多いけど、それって片付けない人と一緒だと思う。汚したのが自分じゃなくても、気付いた人は行動を起こしてほしい。
私は関西に残るので、また暇があれば事務所に顔を出させていただこうと思っています。そのときに事務所が綺麗だったら嬉しいなあ。汚かったら、文句を垂れつつも掃除してしまいそうだけど(笑)。
みんなが事務所の美化に協力しあっていけば、事業部の垣根を越えてもっと仲良くなったりするんじゃないかなーとか妄想しています。それ以前に、事務所や周りの人のことを思いやってほしいなぁと思います。子どものためだけじゃなく、「ボランティアの人たちにもボランティアをする」ぐらいの気持ちでね。

「BHでの出会い、得たものとは」
大野 裕美


『フィリピンで住居造りを 高校生20人を募集』
2001年4月、この新聞記事の言葉が私のBHでの活動のきっかけとなった。10日間という短いワークキャンプで現地の人と住居建設を行い、同年代の友達が多く出来たことも自分にとってかけがえのないものとなったが、何よりも大学生スタッフの存在がとても大きかった。兄や姉のような存在でもあり頼れる大人にみえ、憧れの存在となった。その時、「こうゆう大学生になって、何か活動したい」と思い、大学入学と同時にBHの活動に関わり始めた。最初に関わったイベントはキャンプだった。企画を考えていく中で、企画の安全性や内容がコンセプトに合っているか、1泊2日のイベントを実施するだけで約2ヶ月間の準備期間を費やした。この時に、楽しんでもらうことだけではなくイベントを実施する意味も考える大切さを知った。次に参加したキャンプでもイベントを作り上げることに悪戦苦闘したが、それと同様にイベントを作り上げる楽しさも知った。そのことを知ることが出来たのは、一緒に参加したスタッフたちのおかげだと思う。
4年間で様々なキャンプやデイ・イベントに関わったが、最も長く関わったイベントは、よさこいまつりである。当初はよさこいの存在も知らず、関わることはまったく考えていなかった。友達をスタッフとして紹介するために付いて行ったが、その場で実行委員になることが決定してしまった。4月から準備を始め、9月のイベント当日まで約半年間。作業内容は、踊り子であるチームを募集し、管理するという内容だった。企業や役所と共に作業を進めていくこともあり、それまで電話のかけ方も話し方も分からなかった私に、フィリピンの時と同様に先輩が一から手順を教えてくれた。そしてイベントの3日間は問題が起こりながらも、無事に終えることができた。そして、よさこいにもう1年関わっていくことを決めたのは、踊り子の方から「ありがとうございました。楽しかったです。」と、直接言葉を掛けてもらった時に、来年も祭りを実施したい、実行委員として関わっていたいと思った。しかし自分が、実行委員長として関わることはまったく考えていなかったし、祭りは好きだが最後までやり遂げる自信が無かった。多くの先輩に相談し意見を聞いたが、相談した人全ての人から「自分が好きなイベントであれば、やってみるべき」という、意見だった。周りの人からの意見を聞いていて、「去年も関わっていたし、もしかしたらできるかもしれない。」と楽観的に思い始めている時だった。だが、ある先輩には反対された。それは、デイ・イベントやキャンプの責任者すらやったことが無い私に約10ヶ月間の準備期間とイベント当日3日間は荷が重過ぎる、無理やと言われた。誰かに言われるかもしれないと考えていた言葉だったので、正直ショックを受けた。しかし、この言葉のおかげで決心することが出来た。「たくさんの人にたくさんの迷惑をかけるかもしれない、それでも祭りが好きだからやってみたい、無理と言われてもやってみたい。」と思った。今考えると、あまりにも楽観的過ぎる考えだが・・・。それからの約10ヶ月間は、あっという間だった。書類一つ作成するのにも責任が問われ、自分が知らないところで企業側と問題が起きていたり、責任者としてやらなければいけないことが目の前に山積みにされていた。準備段階でも、実行委員同士で意見がもめることも多々あった。そんな時も時間が許す限り、実行委員全員で話し合い解決していった。そして当日を迎えたが、問題は次から次へと溢れ出てきた。そして一番当日のことで思い出に残っているのは、ほぼ全当日スタッフに関わってもらったパンフレットのシール貼りである。イベント当日の前日、間違いに気づき印刷会社に頼み、訂正シールを作成してもらい、持ち場に当たっていない当日スタッフは全員作業部屋にこもってシール貼りをしてもらった。3日間たくさんの問題が起きましたが、踊り子の方たちが楽しんでもらえたのは本当に当日スタッフの方たちのお陰だと心から思っているし、何より約10ヶ月間共に活動した実行委員が、あのメンバーだったから祭りを最後まで無事にやり遂げることができたんだと思っている。
BHで学生ボランティアとして活動して感じたことは、普通に大学へ行きバイトをして、友達と遊び歩いている大学生より、社会に出る前に一つの組織の中でメンバーとして活動し、普通では出会うことができない多くの人と出会い、多くの時間を共有できたことが、私にとってかけがえの無いものとなり、とても中身の濃い大学生活だった。後輩の皆にも、イベント終了後の美味しいビールを、多くの仲間たちと味わってもらいたいと思っているし、これからもBHの活動を支えていってくれると期待している。
BHで知り合えた全ての先輩・後輩に感謝します。有難うございました。


P.S よさこい当日、地獄のシール貼りをして下さった当日スタッフの皆さん。この場を借りて心からお礼申し上げます。大変お世話になりました。有難うございました!!

貝田 依子


2年前、卒業パーティーのあの壇上で、
「子どもと会えなくなるのが寂しい」と、私の大好きな先輩は泣いていた。

私はそのときから、自分にもいつかくるその時期がとても怖くなった。
当たり前のように隣にいて手をつなぎ一緒に笑いあう子どもたちと会えなくなるということは、
2年前の私にも考えただけで泣きそうなことだった。

そして、あれから2年がたった今、
やっぱり私の頭によぎるのは子どもたちの顔、子どもたちと過ごした日々である。

子どもたちとの4年分の思い出は、これからもずっと忘れないと思う。

初めてリーダーをした時、あまりに分かり合えなかった子どもたちに辛くなって泣いたことも、
たった数日一緒にいただけなのにキャンプの解散時にはいつも涙ぐんでしまっていたことも、
ケンカした子どもと半年かけて仲直りが出来たときのあの嬉しさも、
4年間いつも「よりちゃん」と走り寄ってきてくれ、
私との最後のキャンプでは泣きながら「ありがとう」を伝えてくれたあの子のことも、
3年前にはずっと下を向いていた子が今では大きな声で笑っているその成長を見れたことも、
「よりこリーダー」と子どもたちに呼ばれるその言葉だけで元気になれたことも、
全部が、私の宝物になった。

そして、子どもたちと出会った素敵な日々のことはもちろん、
それだけではなく、
自分や相手に納得がいかなくて流した涙のことも、
自分の力のなさに腹がたってどうしようもなかった初めて総責をした時のあの感覚も、
たくさんのものや人を犠牲にしてBHでの時間を作っていたということも、
もう2度と来るもんか・・・と思って事務所を出た日のことも、
それでもまた関わってしまっている自分がいたことも、
BHでのしんどさを支えてくれたのはいつも、BHで出会ったみんなだったということも、
私はきっと忘れないだろうし、今の自分を作っている大切なものなのだと思う。


私にとってBHは、4年間チャンスをくれ続けた場所でした。
今まで本当にありがとうございました。

BHって
片岡 加代子

                     
BHって私にとって自分の可能性を広げてくれた場所だと思います。
色々な価値観の人がいて、みんなベクトルは違う方向だけど、ゴールは一緒って感覚が、私は大好きでした。

普通の大学生活を送ってたらスーツを着て新聞社まわったりしてなかっただろうし、絶対こんな人と会うこともなかったんだろうなあって思います。

だけどいいことばっかりでもなくて、BHでは『やりたいこと』を1するために、『やらなければいけないこと』を10しました。

そこまでしても続ける魅力って何なんでしょう。
いっつも思うんです。
「このイベントが終わったらもう辞めよう」とか。

でも終わったら終わったで、次はこんなイベントにしたいとか考えてしまってます。こんな風に思えるのって何なんでしょう。

「自分の限界はこんなもんじゃない」って思ってたからかもしれません。
イベント中とか準備中に「もっとこうすれば」と思うことがあったせいかもしれません。

でも一番大きかったのは、「また会いたい」「また来たい」って言ってくれる
こども達。「またやろう」「またイベントで」って言ったスタッフ達のせいかもしれません。

毎回毎回違った成長を見せてくれた子ども達。
前は出来なかったことが出来たり、出来てたことをしてくれなかったり。
色々な成長を見せてくれました。

スタッフ達も、前はうまく連携がとれずに手こずったことが、次の機会では目と目。気づいたら出来てたって時がホントに気持ちよかったし、楽しかった。

まだまだ一緒にいて色んなことに挑戦してみたいけど、
そろそろお別れしないといけないみたいです。

じゃあね、バイバイ☆

元吉 絢子


2003年5月のフレッシャーズキャンプに参加してから、
どれだけ成長できたかなぁと考えてみる。

人生、苦しい時が上り坂
と私の尊敬する人が言っていた。
BHで何回上り坂をこえられたかなぁ。

活動する中で
人との出会いが自分をつくっていくんだと思った。
素敵な出会いがたくさんあったなぁとしみじみ思う。
そんな機会をくれたこの団体に感謝。シェシェ。ありがとう。

それから、気付いたこともあるっけ。

どんなに苦しくても自分を見失わずにいること。
いい意味でゴーイング・マイ・ウェイ。

一度しかないこの人生、
そうおもうなら、やってみなきゃ損かもな。
うん、きっと損に違いないのだ。

皆さんの実り多き人生をお祈りしつつ・・・

さいごに、この団体に入るきっかけとなった片桐聖子と、
今まで関わった、そしてお世話になった全ての人たちに
感謝の気持ちを伝えたいと思います。

本当にありがとう

清水 浩樹


僕がBHに出会ったのは友達の誘いからだった。特に子供に興味も無かったが、部活を続けてきた習性で何か大学生活を物足りなく感じていたと同時に、誰かに認められたく思っていた僕にとって格好の場所だったように感じた。振り返るとBHに関して良い思い出があまり浮かんでこない(笑。それは楽しくなかったからではなく、思い知らされた部分が僕にとって大きな比重を占めているからだろう。
1、2回生の時は自分のコミュニケーション能力の低さが立ちはだかった。自己中心的で会話も一方的で周りの意見を取り入れることを拒み、自分の意見を通すことに終始した。頭ではわかっていた。が、体がまだ理解していなかった。また、本来僕の長所であるはずの客観的な視点や論理的な思考がそれを改善することの弊害となった。さも客観的であるかのように言うことで周りを納得させ、自分の意見を通す為に論理的であるかのように見せることができたから。発言の全てがそうではないが、長所をそういう悪い方向に使ったことも多々あった。しかし、やがて体をもって痛い目に会う機会が何度か訪れた。それが具体的に何かは長くなるので避けるが、それは変わろうと決意させるのに十分だった。頭でわかっていても、実際に体で痛い目に会わないと変われないことを学んだ。ただ、すぐに変われるものではなく恐らく今もその過程の中にいる。
また大きな転機が4回生に訪れた。就活、教育実習、他団体でのキャンプ、インターン…どれも自分を成長させるものだったがBHとの関連でいうならば他団体での経験は非常に大きいものだった。参加動機はそれまで自分がやってきたことを客観的に見るために外に出たかったんだが、それ以上のものを得た。と言うよりもそれまでの思考が完全に覆され、パラダイムの転換が起こった。キャンプを行う上で最も大事なことはタイムテーブル通りにキャンプを進めることでも、事務作業を滞りなく進めることでも、要領よく企画を進めることでもなかった。最も大事なのはコンセプトだった。と言うよりもコンセプトをあくまでも追求することと言う方が正確だ。なぜそれが大事なのか?それは『そのキャンプ』をする意味につながるから。どんなキャンプでもキャンプをする意味自体はあるだろう。例えばキャンプをして子供に喜んでもらえたとか…。でも『そのキャンプ』である意味が子供にとってあったのか。更に言うと、『そのキャンプ』でしか与えられない影響や、子供が新たな気づきを得るきっかけが作れていたのか。それが最も大事であることを学んだ。残念ながら、それまでの数々のキャンプでコンセプトで狙った点での子供の変化を見ることはなかった。もちろんそれが大事と認識できていなかった僕に見る力がなかったこともある。でも似たようなキャンプしかなかったことも事実だと思っている。その外部のキャンプに行ったとき正直BHのキャンプのコンセプトの空洞化を感じた。
別にコンセプトが『楽しむ』ならば、それでいい。ただ、もし見えたものが目的と違うものしかなかったならばもっと結果を追求してほしい。一見結果ではなく、準備過程を重視するのはスタッフの努力や苦労を認める上で重要で当たり前のようだが、キャンプを子供の為にし続ける限りそれは違う。その過程には子供が携わっていないから。子供が携わっていない部分が一番重要であるはずがないんじゃないだろうか。子供の目に見えるのはキャンプ本番だけだ。過程を一番と考え続ける限りそれは自分の頑張りを認めてほしいだけの自己満足の域を出ないように思う。これらも優先順位がしっかりと認識できれば理解できる。安全管理など必要最低限の部分はあるが、キャンプもタイムテーブルも企画もほとんどがコンセプトを達成する為のもの。決してタイムテーブル通り進める為にキャンプするわけではないし、企画をする為にでもない。BHではその優先順位が逆ではないかと強く思う。また、その優先順位を各自が認識しておかないとコンセプトは決して達成できない。また、自分がキャンプに参加する目的だけで無く、自分がキャンプを通して子供達にどうしたいのかを意識して参加しないといけない。キャンプの目的のシェアをすることで間違いなく言動1つにしても変わる。キャンプをする意味では無く、『自分のキャンプ』をする意味をもっと追求してほしい。昔ある人が言ってたけどコンセプトは子供へのメッセージだと思うし、それについて考えることはBHが存在する意味を考えることにもつながってくると感じている。ただ、コンセプトの重要さはそれを追求した結果に起こった子供の変化を見ないと、頭ではわかっても実行するのは難しい。僕も他のキャンプで見ることが無ければ絶対わからなかったし、実際昔はその重要さがわかっていなかった。つまり今の在校生が認識できないのは僕らの代がそんなキャンプを作れていなかったからだ。非常に申し訳なく思う。
今までBHのことを一方的に悪く言ったように聞こえるかもやけど、そうではない。変わってほしいねん、マジで!口だけなのもイヤだから変える為にそれからもキャンプに参加したしイベントもしたけど、なかなか難しかった。ただ、種はまけたんじゃないかとは思っている。これからどんどん変えていって欲しい。BHの良いとこもたくさん発見できた。外に出ないと自分の組織の良い部分には気づけないし、悪い部分には気づけても抽象的であって具体的にはわからない。だから是非外に出てみてほしい。特にコアで動いてる人ほどそう。MTの進め方とかタスクの進め方とかの研修もいくらでも外でやっている。もっと学び、効率的に進めることでより大事な所に力を注げる。確かに慣れた場所は居心地が良い。僕もそう。でもそこで『できない理由を探すのではなく、やる理由を探すこと』が大事なんやと思う。成長はしんどいものなんやわ。あと、仕事のできる人間とは事務ができたり、タイムテーブルが作れたり、指示ができる人ではない。それらは覚えればできること。そうではなく、自分の思いを伝えれて人を動かせる人、コンセプトを1つ1つの企画にまでしっかりと落としこめる人がすごい人なんじゃないかと今は思っています。以上自分がもっと前に気づけてたらと思ったことをここにメッセージとしました!

BHで得た最大のものは成長欲でした
これは以後も僕の礎で有り続けると思う。

最後に、本当に生意気でどうしようもない僕でしたが、職員の方々を始め、本当に可愛がって頂いた先輩方、話を聞いてくれた後輩…本当にありがとうございました。

「4年間の宝物」 
田中 優希
                         

 主にBHと関わったのは3年生の夏までの2年半。2003年のフレッシャーズキャンプに始まり、キャンプ3本・ワークキャンプ2本・サタプロコアなどたくさんのイベントに関わらせてもらった。学生生活のほとんどをBHですごし、ここでたくさんの仲間と思い出ができた。BHでの思い出や得たこと、伝えたいこと・・・本当にたくさんありすぎて、ここに書き出すときりがない。ただ、一言いえること。それは、「BHと関われて本当によかった。」ということ、それだけだ。
 1年生の春、どのサークルに入ろうか悩んでいたとき、聖子にBHの存在を教えてもらった。最初は「大好きなこどもと一緒に遊べるなら。」という軽い気持ちで参加しただけだった。しかし、次第にこの活動にのめりこんでいった。
 死に物狂いで企画書を書き、ミーティングで激論を交わし、バイトの時間を削って事務所に通いつめた一年生のころ。すごい!!と思える先輩がたくさんいて、同じ目標を持ちながら刺激を与え合える仲間がいる事務所が大好きで、ここが自分の居場所だと思っていた。本当にキャンプのことだけに没頭し、終電で帰る日々が続いても、ちっとも苦だと思わなかったし、むしろ充実感でいっぱいだった。
 活動を続けていく中で、たくさんの壁にもぶち当たった。自分の力のなさを痛感し、組織をまとめていくことの難しさも知った。逃げ出したくなったときも、涙を流したこともたくさんあった。周りにもたくさん迷惑をかけた。でも、そのつらさの先には必ず最高の喜びが用意されていた。その喜びこそが“人”とのつながりだった。

 キャンプ・サタプロを通じて出会った、たくさんのかわいい子供たち。
 ワークキャンプを通じて知り合った、マレーシアのティウロン村の人。
 2回のワークキャンプを通じて出会った29名の高校生。
 私にたくさんの影響を与えてくれた、素敵すぎる大勢の先輩方。
 いつも慕ってくれ、そしてたくさんのことに気づかせてくれた、頼もしい後輩たち。
 たくさんのイベントを影ながら支えてくださった能島さん。
 そして、いつもたくさんの影響を与えてくれて、共に支えあってきた同期の仲間たち。

 この一つ一つの人との出会いがあったからこそ今の自分がいて、私の学生生活があったのだと断言できる。自分の至らなさで迷惑もたくさんかけてしまったけれど、本当にBHと関わることができて、そしてみんなと出会うことができて、私は本当に幸せです。




 後輩のみんなへ
 私はよくできた先輩ではありません。なのでえらそうなことは言うつもりはありませんが、一言だけ・・・。
 どれだけつらくても、どれだけ逃げ出したくなってもあきらめないでほしい。ゴールが見えなくても、みんなが今頑張っていることは必ず自分にかえってくるから。そして、ここで頑張ったことが自分のプライドとなる日が必ず来るから。限られた学生生活を大切に、そして人とのつながりを大切に・・・
 
 “普通の大学生”をしていたら出会えなかった人や経験できなかったことが“ここ”にはたくさんあった。後悔がまったくないとは言い切れないけれど、充実した学生生活が送れたことは確か。学生生活は本当に私の宝物です。

 新しいフィールドに少しおびえながらも、BHでの経験があれば大丈夫と信じ、春から私らしく頑張ろうと思う。

 今まで本当にありがとうございました!!

「オレの人生、これバイクの如し」
谷 大輔
    

オレはバイクが大好きだ。

バイクは行きたいところにオレを連れて行ってくれる。
目的地さえ決まれば、あとは一直線に行くよし。遠回りをするもよし。
道は幾通りもある。
その時の気分しだい。
途中、気になる場所や、景色のきれいな場所を見つけると寄り道もできる。
その土地の空気を肌に感じることができる。
目的地が無くても、バイクに乗って走るだけで意味がある。
バイクを操ることの楽しさや、難しさ、そしてその危険性を知ると言う意味で。
そして、走っていれば、おのずと次の目的地が見つかる。


オレの人生は、まさにこのバイクの如き生き方だと思う。

大学生活では、1回生から2回生にかけて、BHを走り続けた。
「キャンプ」や「サタプロ」を走り続けた。
3回生になってからは、「神戸よさこいまつり」をかっ飛ばしながら走った。
とにかく、目的地が決まればそれに向けて、一直線に走り続けた。
険しい峠道や、雨の中での走行もあった。
時には、こけて動けなくなったときもある。
時には、仲間とけんかして、別々の道を走っていたときもある。
それでも、オレはその目的地に行きたいから、一生懸命走り続けた。
目的地に着いたときには、この上ない達成感と、かけがえのない仲間ができていた。
そして、気付けば、様々な経験や体験から、多くのことを学んだ。
あたかも、バイクに乗れば乗るだけ、上達していくかのように。
4回生になってからは、本当に自分の好きな道を走り続けた。
時には仲間と、馬鹿みたいに騒ぎに行った。
時には一人で、旅に出ることもあった。
でも、まだまだ行きたい所、やりたいことはたくさんある。
なぜ、もっと早いうちから、それに向けて走らなかったのか後悔するときもある。
いろいろと理由をつけて、それに向けて走れなかった自分が悔しいときもある。
しかし、いまさら通り過ぎた道を振り返ってもしょうがない。
だから、オレはこれからも前をみて走り続ける。

寄り道をするときもあるだろう。
途中で他の目的地が見つかれば、道を変えるときもあるだろう。
ガス欠になって、動けなくなることもあるかもしれない。
道に迷って、目的地が見えなくなるときもあるかもしれない。
それでも、オレは走り続けたい。
走り続ければ、必ず次の目的地が見えてくるはずだから。

とにかく、後悔しないように、自分の行きたい目的地に向けて、
自分の走りたい道を走り続ける。
人生という長い道のりを。

オレの人生、これバイクの如し。


みんなも、道に迷うことや、目的地が見えなくなるときがあるかもしれない。
それでも、走り続けてほしい。
そうすれば、必ず「新しい道」や「新しい目的地」が見つかるはずだから。

最後に、大学生活がここまで充実したものになったのは、一緒に走ってくれる仲間がいたからだと思う。
BHでキャンプやサタプロを一緒にやった仲間。
神戸よさこいまつりを一緒にやり遂げた仲間。
大学で一緒に馬鹿騒ぎをした仲間。

みんなと大学4年間を走れたことを、ほんまに感謝しています。
ありがとう!!  

「感謝の言葉」   
中本貴士


いつからか、
趣味の欄に「散歩」って書くようになってました。

でも思い返してみたら、一人で歩くのがずっと好きでした。


初めて会う人と話をするのが苦手だった大学1回生の春。

『不登校児童の家庭教師募集!』

入学式でもらったチラシを何度も読み返して、
やっと覚悟を決めれて、事務所に電話をかけました。


そこで最初、3人の男女との出会いがありました。
一緒にイベントをすることにもなった出会いでした。

この3人と出会わなかったら、
きっと僕はBHで活動を続けることはなかっただろうなって。



僕はぜんぜん我慢強くもないし、飽き性な性格。
その自分がBHで4年間活動をすることができた。
何も胸を張って言えるようなことは出来なかったけど、今日まで続けることができた。


入学式でもらったチラシ。
そのチラシに触発されて決意した想い。
「この想いは誰にも負けない」。
そんな恥ずかしいぐらい自分勝手だけど確かだった強い想い。

その想いが原動力になったのはたぶんそうだけど、
でもやっぱり、そこにいた仲間の存在がものすごく大きかった。



今年の春はこれまでと違って大きな「わかれ」になることはわかってる。
頭ではずっと前からわかってる。

それによく考えてみたら、
僕たちはみんな「わかれ」の世界で生きてる。

家族とのわかれ。
友達とのわかれ。
季節とのわかれ。
生物とのわかれ。


そしたら、
ずっと一緒に居ることってきっと難しいことなんだよ。

そしたら、
一緒に居れたとき、
はたして自分は精一杯生きてたんやろうか・・・

そうやって考えたら、
溢れ出しそうになる涙が後悔を物語ってる。

一人で苦笑いながら、でもそれもぜんぶ自分だったんだなって。
後悔は尽きないけど、みんなに出会えてやっぱりやっぱり僕はうれしかった。

今までほんとうにありがとう。               

松浦 由佳


今、ここはブラジル。日本のちょうど裏側。
ここにいるのもBHで出逢った先輩のおかげです。

友人の何気ない一言から参加したBH。
大学生活になくてはならないものになっていました。
そして、ここで私は多くのことを学びました。

タイワークキャンプで自分の力のなさを
火炎祭で仲間のありがたさを
春スキーで仲間とのぶつかり合いを
夢大陸で尊敬する先輩を
いもキャンプでトップにたつ難しさを
釜ヶ崎で成長を見守るおもしろさを
そのほかにも・・・

そしてBHは私が大好きな旅に似ています。
常識の崩壊。
新たな発見。
作り上げる喜び。
子どもたちの笑顔。
仲間の優しさ。
信じる気持ち。
感謝の心。
出逢いと別れ。
そして、何よりも人生への影響。




後輩たちへ
BHはやろうと思えば、なんでもできる場所。
自分を、仲間を信じ
全力でぶつかって欲しい。
きっと見えてくるものがあるから。

最後に
BHに
仲間に
子どもたちに
支えてくださったすべての方々に
感謝しています。
ありがとうございました。

2007.03 Rioにて

松島 亜希


松島亜希にとっての、もう一つの家。

たっきぃ、りょうた、こや、ゆっこ、おかちゃん、のじまさん、ばいきんまん(くっきーさん)、なお、けい、かおり、まりお、あいと、さっちゃん・・・・・・
このメンバーと行った2003年インドワークキャンプから、ここ(BH)での「亜」は産まれたと思う。

最初は、なにも分からん高校生で、とにかく場になじむことにせいいっぱい。
でも、そんな中でも引率してくれている人達が、自分といくつかしか違わない大学生であることに、すごい憧れの意識はあった。大学生がこんなに大きいプロジェクトを・・という驚きと尊敬の気持ちで始まったと思う。
そのワークキャンプに参加していればこその流れで、私はいつしか事務所によくお邪魔するようになり、そんな流れで一つの書類を書いてたなぁという記憶がある。
私は、耳が悪い事で足手まといになるんじゃないかという思いと共に、イベントに参加することになる。これだけは拭い去りきれないことだったと今でも思う。
初めて参加したキャンプで、大泣きした。
総責と、真正面から衝突をした。
ハヤと、ものすごい長文メールをしまくった。ハヤとはBHの中で、最初にぶつかりあった。

こんなスタートで始まった私。
4年目を迎える今だからこそ思うんだけど、「サタプロが楽しい!」と最近初めて思うようになった。他の子が子供に対して何をしゃべっているのか、何をしているのか、何を聞いてるのか、その情報が全くないだけに何も分からなくて、不安でいっぱいだった。
そんな中でもしゃべれる子供が一人二人と出てきて、4年経った今、ようやく子供とコミュニケーションがとれるようになったなぁって思う。
子供を見ても、怖がらずに近づいていけるようになりました。かなりの進歩やわ・・・。
他の子が、初日からすんなりとコミュニケーションをとれていることを見て、うらやましいなぁと思ったり悔しいと思ったり、色々な感情が入り乱れてた時期もあったし、そんな風にしか思えていない自分の小ささに涙した日もたくさんあった。

自分の耳のことでは、色々な人とぶつかりあったし、涙したこともあったし、知らないうちに傷つけたこともあっただろうと思う。
だけど、意地でも心から「楽しい!」って思える瞬間をつかみとりたくて、私はここにいた気がする。ここでは、色々な人達がいて、色々な刺激があって、色々な幸せがいっぱいつまってる。
きっと一番しんどい時にでも、最後にたどり着く答えが心の中では分かってたんやと思う。
私にとっての答えは、「最後には絶対笑いあえる」っていうこと。
プロジェクトを共にやって、意見衝突も経験して、喜びあうことも経験して、そういうことが経験できるのは、「家族」みたいな感覚にすらなったと思う。一つの絆が結びつく瞬間がうれしかった。こんなにも素晴らしい仲間と出会える場所って、そうそうないよな!!って常に心から思います♪この4年で変わったこと。

いくつものイベントを通して、関わった人達で携帯のメモリーが500を越えてしまった・・・
携帯がもう一つ欲しい・・・と、金がないくせに何度思ったことか(笑)
不規則な生活リズムの中でも、それなりにがんばった反動で、確実にデブになりました・・・
こんなんじゃ絶対太るよ・・・って何度思ったことか・・・そんでもって、結局デブまっしぐら。
人見知りだった私なのに、初対面からハグしてしまうような度を過ぎたフレンドリーな性格ゲッツ!こんなんじゃ絶対危ない人だってば!と、自覚症状ありですが、もう治りません!
ブレイクダンスパワームーバーだった私なのに、よさこいの踊り子に偏ってきてる。
「本命はブレイクなのに!」と思いつつも、何故か気付けば南中ソーランを頭で踊ってる。
でも・・・大丈夫!!!もうすぐメットを買って、ブレイカー復帰するからっっ!!!
スカートをまったく履かない子だったのに、卒パの存在の影響で、ドレスを買ってしまった。
「えーーーーーこんなの着るのかよ!!!」と言いつつ、着てしまう私。
それから、「卒パまでにはダイエットを!」が呪文になった私。
簡単にまとめるとですが、人脈開拓されたってことと、とりあえずデブになって「ダイエット!」が欠かせなくなったってことと、フレンドリーになっちゃったってことです。
あと、それから、泣くようにもなりました。
底力キャンプで、ファイヤーが終わった後、後片付けをしてて懐中電灯をアゴから照らして、爆笑しまくってる子(スタッフ)が来て、本気でビビり、本気で涙ちょっと流しました。
夜だから見えてないけど!!!夜だからバレてなかったけど!!!!
あと、無茶な事もしました。
3月に六甲山を走り、雪が降ってきてバイクでスライディングしちゃいました。

この4年間がどんなけ充実してたか。それは計り知れないものとなっています。
今の私があるのは、今まで関わってきたみんなのお陰です。
モメたり、泣いたり、喧嘩したり、笑ったり、旅行したり、
私と関わった全ての人に、心からありがとう☆

「幸せの法則」
山中 絵美子


人を幸せにする。
自分が幸せでいる。
失敗しても前向きに代替案を考える。
余計なことは考えない。
まず終わりまでやるべきことを明確にして、効率よく行う。
周りの人の秀でたところを見つけたら盗む。教えてもらう。
直感、感覚を大切にする。
その時に終わらせる。可能な限り早く行動に移す。
でもタイミングが大事なものは、焦らず、落ち着いて。
一人で抱えこまないこと。
時間とお金とストレスをいかに省けるかを考える。
ちゃんと寝る。
強くいる。
悩みは信頼できる人に相談する、本を読む、想像力を働かせてみる。
後悔しないように、今を生きる。
自分のその時の役割に対する意識を高く持ち、果たすべきことに全力を注ぐ。
自分の能力の限界を受け止める。そして人と協力し合って補い合う。
常に謙虚でいること。
相手が前向きに具体的に何をすればいいのか判るように伝える。
人の気持ちを汲み取る。
様々なものを見て、様々な経験をする。
人に何かを語る時、自分に酔わないようにね。
余計なものは削ぎ落として本当に大切なことに人生を使う。
人生には生きてて良かった、と思える瞬間がある。
意外と簡単なこと、想像よりも大変なこと、やってみないと判らない。
体験・経験しか身につかない。
今に満足せず、流動的に生きること。でないと腐る。
諦めないこと。
長所を見つけて伸ばす。
自分が、ほんとーに好きなことをする。
自分を誤魔化さない。
押し付けるのじゃなく、要求に応える。
私は私、人は人。お互い認めて、受け入れて、尊重し合うこと。
ほんとーの本心を、一番しっくりくる言葉で話す、伝える。
毎日の積み重ねを忘れない。日常が人間を作るから。
相談してから、自分の経験、考えを基に結論を出す。
人のために生きる。
物事を楽しむ方法を見つけること。
プレッシャー、逆境を楽しむこと。
好きになってしまう。
相手の力を信じる勇気を持つ。
お互いに成長し合う。
心も頭もすっきりとさせること。
アンテナを張って、たくさんの情報、人を引っ掛ける。
良い習慣を身につける。
焦らない。
心をオープンにする。
夢を、人に語る。


大学時代に感じたことで皆に伝えたいことなんて、たくさんあり過ぎて、
1つに決めることなんて出来なくて、とにかく私が大事に思ってることを羅列してみたら
その辺の本屋さんでよく売られてるハウツー本の目次みたいになってしまいました。

でも、とにかく全て私が感じたことで、
1つ1つの文に、ある人の姿とか、経験があって、
これが、私を幸せにしてくれています。
人が成長するって、自分の弱いとこ、強いとこ、好きなこと、嫌いなことを良く知って、
そういうもの達とどういう風に付き合っていくかの答えを
積み重ねていくことなのかなぁと思うのですが、
それ達を知るきっかけと具体的な答えを出すための
経験や出会いを与えてくれたBHに感謝します。

森 紘


ただ大学を卒業してサラリーマンになるというだけで、

ブレーンヒューマニティーを卒業するということが何なのかよくわかりませんが、

現時点まででブレーンヒューマニティーに関わった日々と、

それによって出会うことのできた色んなモンには深く感謝しております。

能島さん、頼生さん、辰巳さんにはホントお世話になりました。

よくわからない無敵感を伴う謎テンションで目の前にある色んなモンに手を出して、

その都度自分の弱さを実感して認める続けることができた事実が、

何よりこれからの糧になるかと思われます。

これからブレーンヒューマニティーで何かしようとする人達はファイツ。

そして俺ファイツ。

ファイツエブリバディ。

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