TSU・NA・GI

●「震災5年に想う」

 この前、久しぶりに三宮の街を歩いた。目新しいビルも出来ていて、昔の面影はなかった。子どもの頃から三宮を歩いていた私にとっては、少し寂しいことだった。あの震災から5年、街はもとのにぎわいを取り戻している。
 しかし、如何に街がにぎわいを取り戻したとしても、私たちの記憶からあの震災をぬぐい去ることはできない。別に感傷的になっているわけではない。悲劇を引きずりたいのでもない。ただ、忘れてもよいことと、忘れてはならないことを見極めたい。あの日、街は崩れた。私たちは、その悲しみの中から歩みを始めた。被災した子どもたちに自分たちできることをしよう。そんな単純な想いで始まった。べつに慈善でもなく、奉仕でもない。共に生きようとするもっと本能的な動きだった。震災は、多くのものを奪い取った。しかし、同時に私たちの本能を自覚させた。共に生きること。私たちは震災によってそれに気づいた。
 いま、私たちはNPO(特定非営利活動)法人としての歩みを始めようとしている。NPOの根底に流れるのは地域や社会のなかで、共に生きようとする想いだと思う。「公から共へ、私から共へ。」あるNPOの会合でこのようなテーマが語られた。行政でもなく、個人でもない、「共」の領域こそがNPOの立脚するところかもしれない。「共」は決して複数を一つにするのではない。互いにそれぞれの違いを受け止め、支えあう関係を意味する。
 私たちは震災以来、子どもたちの支援を行ってきている。最近では、不登校の子どもたちの支援も始めた。年長者と年少者が、互いにその違いを認めあい、支え合うことができればと願っている。それは年長者からの一方的な働きかけではない。多くの学生たちは、この活動を通して、子どもたちから学び、共に成長している。私自身も例外ではない。
 震災により、私たちはあまりに多くのものを失った。しかし、得たものもある。あの日の希望を保ち続けたい。あの日の祈りを信じ続けたい。絶望からの希望。嘆きからの祈り。あの絶望と嘆きを知っている私たちだからこそ、できることがある。 いつまでも希望と祈りを持ち続けたい。

ブレーンヒューマニティー代表  能 島 裕 介

TSU・NA・GI 震災5周年記念号(2000/2/1発行)より