TSU・NA・GI

●“relation”〜本会スタッフのリレーエッセイ〜 20

 『永瀬と自信』

「自分に自信のないやつは損だ。」
 そう思い始めたのは私が生まれた時から。つまり、ずっと思っている。私は自他共に認める超自信過剰な男である。経験のないこと、明らかに無理であろうということでも、「僕やったら出来ますよ。何とかなりまっすって。」と、答える癖がある。それは決して単なる馬鹿の一つ覚えで言っているのではない。
 「自信」=自分の価値・能力を信ずること(岩波 国語辞典より)。
 私は自分を信じられなくて何ができる?と思っている。何事もせず、actionも起こさず、行動する前から「無理」と答える人は、それ以上の発展はないであろう。しかし、自分の可能性を信じて「きっと出来る」と答える人は、そうではない。
 最近、「育児」という言葉を「育自」として言葉遊びをするが、まさに自分を育てる第一歩は、「自信」であると思う。少なくとも、私はこの19年間、自信過剰で生き抜いてきた。中学受験も、成績はギリギリだったものの、「受かるって。」と思い、結果は合格。高校の生徒会選挙も強豪対抗馬がいる中、「やっぱ他より俺らやろ?」って思ってたら、いつの間にか当選。もちろん、成功だけではないが、失敗しても、「まぁ、運が悪かっただけ。」と思うことにしていた。自信がpositive thinkingへつながったのかもしれない。
 自信過剰という言葉が、「自分に溺れているだけ」や「おごり高ぶっているだけ」等と悪いイメージとしてしか扱われないのが個人的に納得のいかないところである。自信過剰で大いに結構。その自信に裏づけがなくても大いに結構。いいじゃん。わけのわからない自信でも。「でかいことばっか言うやつは、結局何もできない」??、でかいこと言っててもやるやつはやる!小さな事しか言わなくて、ちっちゃな事しかやらないような人生、私は送りたくない。
 BrainHumanityと関わり始めたのもそこに原因があるのかもしれない。「なんで永瀬が他の大学生と同じような大学生活せなあかんねん。」、きっとそう思ったことが私をここに引き込んだのであろう。
 そんな永瀬の将来の夢
 「でっかい企業入って、でっかい仕事して、でっかい家住んで、高い車もって、綺麗な妻と超プリティーな子どもが二人いて(男と女一人ずつで)、高校時代の親友等と酒をかわす!」
 まさに具体性にかける夢。根拠の無い自信だけど、きっとなってるような気がする。
 私は来年4月から約一年、カナダ留学を予定している。言葉の通じない場所での唯一の武器は私のこの「自信」である。
 人生たった一回!楽しんで、笑って、でっかく生きよう!
 最後にこのたすきを平阪敦司さんにたくします。

特定非営利活動法人ブレーンヒューマニティー
常務理事
永瀬 芳明

TSU・NA・GI第3巻第5号(2002/1/1発行)より