TSU・NA・GI

●"Do Communications!" 4 〜母と娘の対立〜

 前回、長尾さんが御自身の父上とのエピソードを書いておられたので、今回は母と娘の親子関係ということで私のこと書こうと思います。
 母は大学卒業の翌年に結婚、その翌年に私が生まれ、同級生の中でも早く親になりました。家に人手があったこともあって、母は大学で得た資格を生かし、非常勤ながら栄養士として働き、自動車学校で免許をとり運転を始めました(昭和30年代の話です)。同時に、家事もぬかりなく、料理は手際よく、洋裁や手編みも得意で自分や子供の洋服は殆ど手作りでした。幼い頃、私はこのような何でもできる母が大好きですごいなーと思い、小学校位までは大好きな『自慢の母親』であり理想の姿でした。
 この“何でもできる”というところが疎ましくなってきたのが中学生の頃です。私が編み物などを一生懸命やっても母にかなうはずもなく、また母も根気よく教えてくれるというよりは「だめねー、何でこんなことできないの」と言う始末。私の中には、「私の気持ちなんかわかってもらえない」と反発心で一杯でした。幼い頃の『自慢の母親』は思春期の私には『なりたくない人』でした。けれど同時に、こんなことをいったら母に嫌われるのではという罪悪感もあり、心理的にはひっついたり離れたりしていたように思います。
 私が高校生の頃、ある出来事がおこり母が家を飛び出すということがありました。プライベートなことで内容は書けないのですが、このことで私は母の非常に脆い側面を生まれて初めて目の当たりにします。そして、「母も弱くて情けない所を持った一人の女性なのだなぁ」と強く感じたことを覚えています。このことがあってから私は、自分を母のミニチュアとしてではなく、別個の人間として認めていくことが素直にできるようになりました。
 母親にとっての「かわいいお嬢ちゃん」が「一人前に女としてやっていける娘」へと生まれ変わるためには大好きな母親を嫌いになり、再度好きになるという親の殻を破って外で出るためのプロセスが必要です。ここを無意識の内に通過してしまう人もあれば、解決できず苦しむ人も沢山います。ただ解決する時の年令は関係ないように思いますから、タイミングがあえばカウンセリングなどを通じて解決できるかもしれません。

(関西学院大学社会学部 専任講師 川島惠美)

TSU・NA・GI第4号(2000/3/20発行)より